18日で、福井豪雨から20年です。2004年7月18日、嶺北地方では未明から強い雨が断続的に降り、旧美山町で1時間に96ミリという猛烈な雨を記録しました。この雨で足羽川など9カ所で堤防が決壊し、福井市や鯖江市で多くの水害が発生しました。
 
そのエリアの一つ、鯖江市河和田町では560世帯以上が浸水し、地元産業の漆器にも大きな爪痕を残しました。当時の様子を振り返り、次世代に伝えたい教訓を探ります。
  
鯖江市の河和田地区で業務用漆器の製造卸業を営む堀江一男さん(69)は、現役の職人です。20年前の福井豪雨で、自宅や会社は浸水の被害に遭いました。「当時はすごかった。この辺りはどこも床上浸水だった。水だけ流れてくるならいいが、木やごみなどいろんなものが流れてくるから、道路を渡ると足がすくわれる」と当時を振り返ります。
  
20年前の7月18日、局地的な豪雨により河和田川は氾濫し、濁流が河和田のまちを飲み込みました。堀江さんは当時、市町に設置される消防機関「消防団」の分団長として住民へ避難を呼びかけました。
 
当時、堀江さんが撮影した映像には、濁った水が勢いよく流れる川の近くから避難しようとする人に、安全な道へと誘導する様子が映し出されていました。
  
7月16日、堀江さんに河和田地区を案内してもらいました。

堀江一男さん(69):
「被害に遭った面積は、河和田町が一番ひどかった」
 
住宅の外壁に残る水の跡を指差し「ここね。このラインまで水が来た」と教えてくれました。他の家の外壁にも、微かに水の跡が残っていました。
 
堀江一男さん(69):
「家があったところも空き地になった。引っ越しをした人は少ないが、河和田地区は商売している人が多いので一人で2、3棟持っていたが、水害を機に商売をやめる人が、家を壊した」
  
あれから20年、体験談を聞く機会も減った若い世代で「危機意識の薄れ」を危惧する堀江さんは、積極的に地域と関わってほしいと考えています。「地域の色々な行事に若い人が交わり、地域の人と触れ合うことで、教訓も教われる。田舎は人口が減ってくるので、みんなが助け合って隣近所の付き合いを大切にしていかないと…。災害が起きたときに助けてくれるのは隣近所なので、近所付き合いに意識して若い人も暮らしてほしい」と訴えます。
       
堀江さんによると、福井豪雨を体験した住民は、雨に対する意識が大きく変化したといいます。大雨の時にはまず車を心配し、水がつかないエリアを把握していて、その場所に車を移動させるようになったということです。
 
ただ、20年ひと昔となり、知らない世代も増えています。経験談などを継承するためにも、若い世代は積極的に地域のイベントに関わるなど、地域のつながりを意識してほしいと呼びかけています。

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