秋田県北部の八峰町に、戦時中にあった精錬所で強制的に働かされていた朝鮮人が埋葬されたという「墓地」がある。この一角に立っていた1本の大きな松の古木が2023年7月に枯れて姿を消した。終戦から60年以上、名前の分からない墓石が埋もれていた雑木林。この地を知る関係者が松の木に格別の思いを抱くのは、かつて起こった暗い出来事の足跡を知るからだ。
今も誰の墓か分からず
当時の八森村にあった発盛(はっせい)精錬所。旧厚生省の調査では、1942年から4年間で201人が労働に従事したとされる。45年の終戦までに42人が逃走したというが、死亡者についての記録はない。
精錬所跡にほど近く、日本海を見渡せる小高い丘がある。秋田県内における戦時中の朝鮮人強制連行の現場について調べていた民間団体「秋田県朝鮮人強制連行真相調査団」(秋田市)が06年、両手でやっと持ち上げることができるほどの石が、ほぼ等間隔に置かれていたのを見つけた。
石に名前などは刻まれていないが、住民の言い伝えなどから墓石と断定。近くにレンガ積みの火葬場跡があったことも確認された。
その後の調査団の調べでは墓石は約70基あり、発見されるまでの六十数年間、放置されていたとみられる。誰の墓なのかは今も分かっていない。
松の古木はこれら墓石の近くにあった。根元の直径は50センチを上回り、先端の枝先までの高さは6メートル前後に達したという。発見翌年の07年に調査団が草木を刈り払い、墓石などの清掃をしたが、伐採するには大き過ぎたせいか、松の木はそのまま残された。
この年、1回目の慰霊式を執り行うにあたって、カンパや住民の協力を得て、松の隣に慰霊柱を建立。松の木は墓地のシンボル的存在となり、慰霊式の参列者にとってなじみ深い存在となった。
しかし22年以降、近隣の山の松とともに松くい虫被害が目立ち始めた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、4年ぶり14回目となった23年7月8日に営まれた慰霊式の直前に伐採された。
発盛精錬所に関する調査は、調査団の事務局長を務めた作家でルポライターの故野添憲治さんらが主導した。同じ秋田県北部、大館市の花岡鉱山で45年の終戦前、強制連行された中国人労働者が一斉蜂起し、400人以上が犠牲となった「花岡事件」を野添さんが取材する過程で、朝鮮人の強制労働についての実態調査に乗り出した経緯がある。
野添さんが18年4月に83歳で亡くなるまで、共に調査を続けた田中淳さん(68)は現在、調査団の代表委員を務め、事務局を担当する。松の伐採前、肩を落とし、「すごく寂しい」と胸の内を明かした。
墓地を確認して以降、そこに松があることは、野添さんのそばにいることが当たり前であった当時と同じような安心感があった――。田中さんはそう振り返る。
生前、慰霊式に参加した野添さんが、松の下でたたずむことがあった。この周辺でかつて何が起こっていたのか、思いを巡らせていたのだろうか。
しかし、今はその松もない。
八峰町の現地では27日、第15回慰霊式が営まれる。【田村彦志】
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