7月26日に迫ったパリオリンピック。北海道岩見沢市出身のバドミントン混合ダブルス、東野有紗選手が東京オリンピックに続くメダル獲得を目指します。
2021年開催の東京オリンピックで、初めてバドミントン混合ダブルスが銅メダルを獲得。
メダリストの一人、岩見沢市出身の東野有紗。1年後輩の渡辺勇大と中学生の時からペアを組み、「ワタガシペア」の通称で親しまれています。
この夏のパリオリンピックではさらなる高みを目指します。
「東京の時は本当に緊張とプレッシャーで本当に自分のプレイなんてもう全然できなくて。絶対パリでもそういうふうになると思うんですけど、その中でも絶対に楽しんでプレーすれば結果もついてくると思うし、自分のプレイなんてできないと受け入れてプレーするだけかなと思っています」(東野 有紗 選手)
ワタガシペアは2024年で結成13年目。東野は地元を離れて、福島県のバドミントンの強豪、中高一貫校の富岡第一中学校へ進学。3年のとき渡辺と初めてペアを組みました。
2人が組むことになったきっかけは。
「みんな強い人同士で組んでいく。女子の中で強い人と男子の中で強い人で組んでいく。自分たちは最後の方残り物。始めましてみたいな感じでそれも言ったかどうかも」(東野選手)
この残り物同士のペア。互いの努力に加え相性の良さを発揮していきます。
「ほかのペアよりもいい成績が出せてミックスダブルスが楽しい種目だとその時感じてからは、ゆうたくんと組んで試合に出てみたいと思っていたので、まさか五輪に2回も出場できるとは思っていなかったです」(東野選手)
バドミントン混合ダブルスの世界ランキング5位と、トップレベルを維持するワタガシペア。
この東野が競技を始めるきっかけをくれたのは母親の洋美さんでした。
「陸上やりたかったんですけど、お母さんに小学3年生からじゃないと陸上部に入れないから、1年生からやれるバドミントンをやろうって入れられたんですけど、全然楽しくなくて、何もシャトル当たらないから。でも3年生になって陸上の練習に参加したら、え、なんか違うなって思って、やめるって言って、バドミントンを始めて、始めたきっかけを作ってくれたのがお母さんだったので」(東野選手)
順調にみえた競技生活ですが、福島県での中学生時代に大きな危機があったといいます。
2011年発生の東日本大震災です。校舎は福島第一原発から約10キロの場所にあり、一時、北海道の実家に戻りました。
「震災の時も本当は北海道に戻ってずっといたかったけど、お母さんが強くなるんだったらもう1回福島に戻ってやたほうがいいと背中を押してくれたのが良かったと思います。一番そばで支えてくれていたので感謝の気持ちをパリの地で返せればいいと思います」(東野選手)
バドミントンの世界に導き、支えてくれた母。
6月のパリ五輪の壮行会で感謝を伝えたい人はと聞かれると。
「私は母です。バドミントンは大会数が多くてモチベーションの維持が難しい時期があったけど、母に支えられてここまで来られたと思っています」(東野選手)
「楽しみです。無事に何事もなくパリでコートに立ってほしい。いろいろあったけど楽しかったし、本当にいい子です。みんなの前であんなに言ってくれて大好きないい子です」(東野選手の母親 洋美さん)
「(照れながら)やめてほしいです」(東野選手)
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