選挙応援で街頭に立つ小池百合子・東京都知事(画像の一部を処理しています)

「虚言をいうことはなりませぬ」とは会津藩士の教えのひとつであり、幅広く共有される基本的道徳である。にもかかわらず、公人の経歴詐称がしばしば社会問題となるのは、大の大人でもこのシンプルな道徳律を守ることができない人間の悲しい性(さが)を露呈している。

古くは、国政選挙に立候補した女性タレントの学歴詐称疑惑。メディアから姿を消した人気コメンテーターもいた。最近では大リーガー、大谷翔平選手の元通訳、水原一平氏の疑惑が浮上した。以前に問題視された小池百合子都知事の学歴についても再びメディアで報じられている。

海外の学歴は検証しにくい事情もあるが、ここで個人攻撃をするつもりはない。

それ以前の根本的な問題として、なぜ公人中の公人というべき政治家や、社会問題に意見を述べる立場であるコメンテーター、タレントなどの経歴が、何らかの契機がなければメディアで問題視されないのかという点である。後から批判するくらいなら、なぜ初期段階からチェックして正しい経歴を掲載しないのか。

普通、一般市民が著名人や公人の経歴を知るのはほぼメディアを通してであり、それを一つの判断基準として投票行動や評価に結びつける。自分自身でそれを確かめる時間も手段も、市民には限られているのが現状だ。メディアで紹介される経歴が仮に虚偽の場合、市民の判断も、おのずとミスリードされてしまう。その意味で、公人たるべき人物の経歴を正しく掲載することは、メディアの大きな社会的責務である。

ではなぜ、メディアは当事者の自己申告の経歴を掲載してしまうのか。

そこには、公人や文化人が自らが一番よく知っているはずの自身の経歴について噓をつくはずがないという性善説、そして互いの信頼関係があるのではないか。

しかし残念ながら、世の中は善人ばかりではない。噓をついてでも社会的地位を得たいという人々が一定数存在するのが現実である。

ただ、個人情報保護の観点からも、詐称の当事者が経歴関連資料の開示を拒む場合、その証拠を示すのは容易ではない。しかし逆に、公人や例えば教育者などについては、社会的影響力の甚大さも鑑みて、虚偽の経歴が流布する前にメディアが健全なチェック機能を働かせることが必須ではないか。

〝噓つき〟でも出世できるという間違ったロールモデルを子供たちに示すことがあってはならない。教育上の観点も含め、悪事は自分に返るという戒めは、当事者が罪を重ねないためでもあるのだ。

佐伯順子

さえき・じゅんこ 昭和36年、東京都生まれ。東京大大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。専門は比較文化。著書に「『色』と『愛』の比較文化史」など。

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