全国戦没者追悼式の会場に到着した福島市の安斎満さん(手前)=東京都千代田区で2024年8月15日午前8時44分、肥沼直寛撮影

 79回目の終戦記念日を迎えた15日、全国戦没者追悼式会場の日本武道館(東京都千代田区)には全国から遺族が集い、平和を願う人たちの姿が見られた。

 福島県遺族会会長の安斎満さん(86)=福島市=は式で遺族代表として追悼の辞を述べる。父の与一さんは1943年11月、出征先の中国でマラリアに感染し、29歳で戦病死した。

 与一さんは43年6月、現在の会津若松市にあった若松歩兵65連隊に召集され、中国に赴いた。当時5歳の安斎さんは福島駅から出征する父を追いかけて袖をつかんでいたと、後に母のキチさんから聞かされた。

 「子どもを置いて戦地に行くことがどんなにつらかったか」。父の胸中に目を向けられるようになったのは、自身が子を持つ親になってからだった。

 安斎さんは母についても「25歳でひとり親となった苦労は相当なものだっただろう」とおもんぱかる。母は父が愛用していたチェロの弦や戦地から帰ってきた遺骨を大切に保管していた。その母も2011年に94歳で亡くなり、安斎さんは父の形見とともに墓に納骨した。

父の与一さんについて語る福島県遺族会会長の安斎満さん=福島市で2024年8月9日午後2時36分、松本ゆう雅撮影

 安斎さんは父の慰霊のため、約25年前に戦病死した場所に近い中国湖南省長沙市を訪ねたことがある。じりじりと強い日差しが照りつけて気温は40度近い。「当時はマラリアに感染してもおかしくない環境だったのだろう」と実感した。

 世界情勢に目を向ければウクライナやパレスチナで戦闘が続いている。

 「いま戦争が起きれば、戦地に行くのは私たちの孫の世代。戦争を知る最後の人間として遺族の思いを伝えなければいけない。戦争の悲劇から平和を守っていかなければ」。そんな危機感から来る切実な願いを追悼文に込めて伝えたい。【松本ゆう雅】

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