JR大久保駅近くの鎧神社(東京都新宿区)には、戦争の傷痕を残す1本のイチョウが立つ。やけどを負った人肌のような生々しさが漂うその木は、戦争の惨禍を静かに伝えている。
1945年の山の手空襲による火災で、同神社は社殿や社務所など木造部分を全て焼失。その時にイチョウの木も火を浴びた。祖父の代から神社を管理する祢宜(ねぎ)の女性(62)は「もうだめかと思われたがなんとか生き残り、その後自力で回復していった」と伝え聞いている。
しかし、戦後数十年して倒木の恐れがあり、ウレタンで補強された。今ではその部分も劣化し、痛々しさを感じさせる。女性は「傷つきながらも生き証人として歴史を見てきたこの木は、この先も地域を見守っていくのだろう」と話す。
戦災で傷ついた木々は「戦災樹木」と呼ばれ、学術的な調査も進む。明治大農学部の菅野博貢准教授は2014年から調査を続け、著書「甦(よみがえ)る戦災樹木」にまとめている。
その中で、戦災樹木を①空襲などで焼失したエリアにある②戦争による損傷を残している③それらが戦災によるものだという記録や証言がある――という3要素を満たす樹木と定義。東京23区内だけでも約210本を確認した。
「直接的な情報として戦争を感じられるものが、私たちには必要なのではないでしょうか」。菅野准教授はその意義を説く。今でも黒々と焦げ跡を残すイチョウや、傷を修復しようとして複雑な形に成長したスダジイ。それらの姿は戦争の実態を思い起こす手がかりになっている。
しかし、戦後79年を迎えて当時の証言を得にくくなり、戦災樹木の確定が難しくなっている。「戦災樹木は体験者がいなくなった時代に戦争を語る貴重な存在。次代に引き継ぐためにも、多くの人にその価値を知ってもらいたい」【猪飼健史】
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