2024年9月11日で、東日本大震災から13年と半年が経った。行方不明者の手がかりにつながるものはないか沿岸部で行われた捜索。そして、亡くなった母への思いを募らせる家族。それぞれの9月11日を取材した。

<続く行方不明者の捜索>
福島県南相馬市鹿島区の烏崎海岸。行方不明者の捜索にあたるのは、この春に警察学校に入校した初任科生で、その多くが18歳だ。
初任科長期課程・西澤琥珀巡査は「来る途中で、とてもきれいな田園風景を見ました。ですが教官から話を聞いて、そこまで震災当時は水が来ていたと知った。私たち警察が、遺族の方の無念をはらすための最後の砦であるので、強い気持ちをもって捜索にあたらなくてはならない」と話した。
福島県内で震災で亡くなった人は1614人。そして、未だ196人が行方不明となっている。

<月命日の浪江町・大平山霊園>
「一生懸命な母ちゃんだったよ、農業やってたんだよ」・・・母との思い出を語るのは、福島県浪江町の荒川友勝さん。地震と津波からは一命をとりとめたものの、原発事故の影響で家族で埼玉県へと避難した。
5年前にようやく浪江に戻り、心待ちにしていたふるさとでの生活も束の間、母・紀子さんは病気で入院し、2024年2月に帰らぬ人となった。
「命日がちょうど誕生日で、毎月11日に来ている」と話す荒川さん。母の月命日に思うのは、震災と原発事故が奪った時間の長さだ。「5年も入院してたから。埼玉から帰ってきて2カ月くらいいたかな。浪江に戻りたいと言って、浪江に戻ってきて。もうちょっと生きてもらいたかったな」と語る。
被災地で捧げられる多くの祈り。あの日への思いを寄せる一日となった。

<福島県の復旧・復興の状況>
津波で被災した堤防や道路などの公共土木施設は、帰還困難区域の一部を除くすべての工事が完了した。※完了率99.8%(2024年4月末時点) 特に堤防については、大規模なかさ上げが実施され、災害の教訓を踏まえた対策がとられている。
一方、復興に向けては課題もまだ山積みだ。中間貯蔵施設に一時保管されている除染土は、2045年3月までに福島県外で最終処分することが法律で定められているが、最終処分の場所や方法は見通しが立っていない。
また、現在は東日本大震災からの復興は政府が集中的に支援する「第2期復興・創生期間」にあるが、2025年度で終了し、その後の具体的な枠組みはまだ見えていない。

ハード面はもちろん、気持ちの面でも復興に向けた長い道のりの途中という方も多いと思う。約2万6000人が、いまだ福島県内外に避難している。継続した支援や、明確な方針の決定が望まれる。

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