ゲストハウスになるはずの古民家は大きな被害を受け、修復不可能と判定されたが、「諦めない」と語る杉野智行さん=1日、輪島市

江戸時代に北前船主が屋敷を構え、「天領」として栄えた石川県輪島市の黒島地区。歴史ある木造建築が並び、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選ばれたが、元日の能登半島地震で無残な姿に変わり果てた。今夏にゲストハウスを開業しようと金沢から移住していた杉野智行さん(37)は震災後、仲間と住宅などの修繕チームを結成し、まとめ役として活動。ゲストハウスの開業は見通せない状況だが、「諦めるつもりはない」と話す。

「もう噓の広告になっちゃったんですけど、なんとなく剥がしたくなくて」。同市門前町黒島町にある古民家の窓には「2024年夏OPEN」の貼り紙が。向かいに立つ重要文化財「旧角海(かどみ)家住宅」は母屋がつぶれ、倒壊している。伝統的な街並みを生かした取り組みは、始まる前に地震の被害を受けた。

杉野さんは金沢市周辺で生まれ育ったが、釣り好きだった父の影響で、県職員になってからも週末のたびに能登に通っていた。友人を自宅に招いては釣った魚をふるまった。「みんなが楽しんでいるのを脇で眺めるのが好き」で、いつしかゲストハウスをやりたいと考えるようになった。

海沿いの風景と街並みの美しさにひかれ、3年前に黒島地区に移住。「自然と近いところに生業(なりわい)があって、それでいてよそ者に寛容」だといい、外から来た人を受け入れる「懐の深さ」が一番の魅力だという。上司に退職の意向を伝え、昨年7月には古民家を買い取り、休日などを活用して改装作業を進めてきた。

ゲストハウスのコンセプトは「海と山に生きる」。能登半島の海と山の幸を堪能し、自らの生き方と向き合う。そんな時間を過ごすことができる場にしたいと考えていた。

古民家の窓には今も「2024年夏OPEN」の文字が=1日午後、輪島市

元日も床張り作業に取り組み、一段落してから金沢にある妻の実家に向かった。到着して一息つこうとしたとき、地震が発生。翌日朝には水などの物資を調達し、黒島へ車を走らせた。

友人や知人の家は倒壊してみる影もなく、街の景色は一変。「言葉が出なかった」。高齢化が進む地区では、自力復旧が困難な住民が多い。「助けになれば」と、若手の仲間数人とボランティアチーム「黒島復興応援隊」を立ち上げ、割れた窓にブルーシートを貼ったり、がれきを片づけたりする活動を始めた。次第に参加者が増え、杉野さんはボランティア活動のまとめ役として奔走してきた。

ゲストハウスとなる予定だった古民家は倒壊こそ免れたものの大きく傾き、「修復不可能」と判定された。3月末で県職員を退職したため収入もなくなり「人生最大のピンチです」と笑うが、悲壮感はない。ゲストハウス開業に向けた取り組みやボランティア活動を通じて得られた、人々との「つながり」の力を信じているからだ。

まずは「黒島の復興になる仕事を作っていきたい」とする一方、「順番や時期が変わるとしても、ゲストハウスを諦めることはまずない」。いつか必ず、またここに集まる人たちに料理を振る舞い、語り合う。その日に向けて、これからも海と山に生きてゆくつもりだ。(荻野好古、写真も)

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