1966年6月に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さん(88)に対するやり直しの裁判(再審)の判決が9月26日、静岡地裁で言い渡される。事件の経過をQA形式で整理した。
58年前に発生 犯行を「自白」
――袴田事件は、どんな事件だったの?
◆事件が起きたのは1966年6月30日未明、現場は、現在の静岡市にあったみそ製造会社の専務宅でした。専務宅から出火し、焼け跡から専務(当時41歳)、妻(同39歳)、次女(同17歳)、長男(同14歳)の遺体が見つかりました。
4人の遺体には刺し傷があり、ガソリンのにおいもしたことから、警察は強盗殺人と放火の疑いで捜査を始めました。
事件への関与を疑われたのが元プロボクサーの袴田さんでした。袴田さんは現役を退き、当時はみそ製造会社の従業員として工場2階の寮に住んでいました。
事件の約2カ月後、袴田さんは警察に逮捕され、事件を「自白」。後に検察が起訴しました。
犯行着衣「パジャマ」から「5点の衣類」へ
――裁判の結果は?
◆袴田さんは初公判で無罪を主張しました。
検察側は、捜査段階の「自白」に基づき、袴田さんがパジャマ姿で事件を起こしたと訴えました。
袴田さんは事件前、金銭に窮しており、専務の家に盗みに向かったが、現場で専務に見つかり、一家4人を殺害して逃げたというストーリーを展開しました。
そうした中、事件から約1年2カ月後の67年8月、工場のみそタンクから血痕が付いたステテコ、ズボン、スポーツシャツ、肌着、パンツの「5点の衣類」を従業員が見つけました。
検察は、犯行着衣をパジャマから5点の衣類へ変更しました。
静岡地裁は68年9月、袴田さんに対して連日過酷な取り調べがあったとして、計45通の自白調書のうち44通を証拠から排除しました。
しかし、それ以外の証拠を踏まえて、死刑判決を言い渡しました。
犯行着衣についても、袴田さんが事件前に5点の衣類によく似た服を着ていたと指摘しました。80年12月に最高裁で刑が確定しました。
ポイントは血痕の赤み
――どうして裁判をやり直すことに?
◆裁判のやり直しを求めた2回目の請求で、静岡地裁が2014年3月に再審開始と、袴田さんの釈放を決めました。
検察側は不服を申し立て、東京高裁が18年6月、釈放は維持しつつ、再審開始決定を取り消しました。
今度は弁護側が不服を申し立て、最高裁から再び審理するように求められた東京高裁が23年3月、裁判のやり直しを決めたのです。
ポイントとなったのは、5点の衣類に血痕の赤みが残っていたとされることでした。
袴田さんが逮捕される前にタンク内に入れていたとすれば、5点の衣類は1年以上みそ漬けにされていたことになります。
弁護側は「化学反応で血痕の赤みは消える」と主張し、これが高裁に認められました。
さらに高裁は事件から時間がたってから、捜査機関が5点の衣類をタンクに入れて証拠を捏造(ねつぞう)した可能性にも言及しました。
検察側は不服申し立てをせず、やり直しの裁判が始まることになりました。
判決は無罪の公算大
――やり直しの裁判はどう進んだの?
◆23年10月に始まり、検察側は袴田さんが強盗目的で事件を起こしたとする有罪主張を維持しました。
5点の衣類の血痕については、法医学者の鑑定書を基に、「長期間みそ漬けにされても、赤みが残ることはある」と訴え、半世紀以上前と同様に死刑を求刑しています。
これに対して弁護側は改めて無罪を主張し、事件は怨恨(えんこん)に基づくもので、単独ではなく、複数人による犯行の可能性を指摘しています。
死刑囚の裁判のやり直しは戦後5事件目で、無罪が言い渡される公算が大きいとみられています。【菅野蘭、丘絢太】
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