4人をあやめたとして逮捕された袴田巌さんがその疑いを晴らすまで、実に58年もの月日を要した。
検察が立ち止まる機会は何度もあった。
まず「5点の衣類」が逮捕から約1年後に発見されたタイミング。袴田さんは犯行着衣をパジャマと「自白」していた。にもかかわらず、この矛盾を無視し、5点の衣類が犯行着衣だったとあっさり変節した。
次に再審請求審。検察は証拠開示を求める弁護側の訴えを拒否した。再審無罪につながる証拠が明らかにされたのは事件から44年後だった。
そして再審での振る舞いだ。争点が再審請求審と重なる中、有罪立証に固執して審理を長期化させた。
検察が不祥事を受けて2011年に定めた検察の理念には「自己の名誉や評価を目的として行動することを潔しとせず、時としてこれが傷つくことをもおそれない胆力が必要」とある。
検察に与えられている強大な権限は、国民からの信頼によって支えられている。事件に対する一連の姿勢は、有罪獲得のみを追い求め、悪あがきしているようにもみえる。公益の代表者として控訴を断念し、無罪を受け入れる決断が求められている。【遠山和宏】
袴田事件
1966年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社の専務宅が放火され、焼け跡から専務(当時41歳)、妻(当時39歳)、次女(当時17歳)、長男(当時14歳)の遺体が見つかった。この会社の従業員だった袴田巌さんが約2カ月後に逮捕され、静岡地裁は68年に死刑判決を言い渡し、80年に最高裁で確定。しかし、2014年3月、第2次再審請求審で静岡地裁が再審の開始を決定して袴田さんは釈放された。再審開始は後に取り消されたが、東京高裁が23年3月に再び再審開始決定を出して確定し、23年10月から再審が始まっていた。
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