宮崎市の宮崎空港で2日午前8時ごろ、滑走路につながる東側の誘導路の一部が陥没しているのが見つかった。国土交通省宮崎空港事務所などによると、誘導路内で爆発が発生していた。けが人はいなかった。陸上自衛隊の調査で、爆発は戦時中に投下され不発弾となっていた米軍の250キロ爆弾によるものと確認した。この影響で滑走路は約11時間閉鎖され、2日の発着便の大半が欠航した。
宮崎空港は1943年に旧海軍赤江飛行場として建設され、神風特別攻撃隊が出撃したことでも知られる。宮崎市によると56年以降、宮崎空港では少なくとも5個の不発弾が見つかり、2011年の6月と11月に滑走路で、21年6月に空港内の地中でそれぞれ不発弾が発見された。いずれも戦時中に米軍が投下したとみられる。
宮崎空港の歴史に詳しい郷土戦史研究家の稲田哲也さん(53)=宮崎市=によると、今回の爆発地点の周辺には45年3~8月、250キロ爆弾が一度に300発落とされたとの記録が米軍側の資料にあるという。
不発弾は各地の空港で見つかっている。旧陸軍の飛行場だった宮城県の仙台空港では12年10月、滑走路付近の緑地帯で東日本大震災の復旧工事の作業員が掘削作業中に不発弾を発見。旧海軍の飛行場として建設された那覇市の那覇空港では20年4月に不発弾が見つかり、滑走路が一時閉鎖された。ただ、空港で予期せず爆発したケースは近年起きていない。
「恐れていたことが現実になった」と話すのは、不発弾問題に詳しい名桜大の大城渡教授(憲法学)だ。大城教授によると、国内の空港の中には旧日本軍の時代に米軍の攻撃対象になったところもあり、現在も多くの不発弾が埋まっている可能性がある。離着陸時の振動などで爆発する危険性もあるという。
大城教授は「不発弾がある可能性があるすべての空港では国の責任で磁気探査などの調査を進めるべきだ。空港側も安全管理マニュアルに不発弾爆発事故の想定を加える必要がある。犠牲者が出てからでは遅い」と話した。【平川昌範】
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