空に放たれるハヤブサ=関西国際空港で2017年4月25日午前9時47分、井川加菜美撮影

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、今年で開戦から120年となる日露戦争(1904~05年)を題材とした代表作だ。司馬遼太郎記念財団(東大阪市)が司馬生誕100年にちなみ2022年秋に実施した「好きな司馬作品」アンケートでは断然トップとなった。今なお愛読されている大河小説のなかに、当時の日本軍がロシア側の軍用伝書バトをハヤブサで襲わせようとする逸話が出てくる。開戦120年の節目にこの「ハヤブサ作戦」を振り返ってみよう。

 日本軍は開戦後、ロシア帝国が重要拠点とする遼東半島の旅順要塞(ようさい)を包囲したものの、なかなか攻略できずにいた。ロシア側は伝書バトを使って外部と連絡をとっており、これに苦慮した陸軍の長岡外史参謀本部次長はタカを飛ばしてハトを襲わせる「妙案」を思いついた。さっそく宮内省(現宮内庁)の鷹匠(たかじょう)たちを大本営に呼んで作戦に着手したが、宮内省で飼っているオオタカはハトを襲う習性を持たないことが分かった。「ハヤブサならハトを襲うかもしれません」

 鷹匠の話を聞いた長岡は「それをやってくれ」と頼み、地方に手配して野生のハヤブサを何とか手に入れた。しかし、ハヤブサの訓練に時間がかかり、実戦で使用する前に日本軍が旅順要塞を陥落させたため、司馬は「長岡の隼(はやぶさ)は旅順の空を飛ぶことなくおわった」と書いている。

 日露戦争の「正史」にはない「ハヤブサ作戦」の一端を示す史料が青森県鰺ケ沢町に保存されている。1904年7月に警察内でやりとりされた文書によると、鰺ケ沢署から「軍事上必要に付き」ハヤブサを捕獲するよう管内の駐在所や派出所に通達があり、このうち深浦派出所からハヤブサの生息情報が寄せられた。

 実際にハヤブサが捕まえられたかどうかは不明だが、大本営が各地の警察を通じてハヤブサ捕獲を指示していたことがうかがえる。日本軍は04年8月に旅順要塞への総攻撃を始め、05年1月に陥落させており、これらの文書は時期的にみても「ハヤブサ作戦」を裏付けるものといえそうだ。鰺ケ沢町教育委員会の中田書矢総括学芸員は「日露戦争当時の情報戦に関する史料が残っているのは珍しく、貴重だ」と話す。

 このほか鰺ケ沢町には、開戦直後に日本海をはさんで対岸にあるウラジオストクのロシア艦隊が接近し緊迫した状況に置かれたことを物語る史料などが残されている。二〇三高地の攻防や日本海海戦で知られる日露戦争は、決して「遠くの戦争」ではなかった。【田中洋之】

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