近年、日本で働く外国人が増え続けている。事実上の「移民社会」になりつつある中、一部でそうした流れに反発する人たちもいる。ただ、半世紀前まで、多くの日本人が中南米諸国に移民として渡り、現地に受け入れてもらった歴史を忘れてはいけない。
JR元町駅(神戸市中央区)から山手に向かって15分ほど歩いていくと、宿泊施設のような5階建ての建物が見える。かつて全国から集まった渡航者たちが、出国前に研修や健康診断を受けた「国立移民収容所」として使われた建物だ。1928年から71年まで開設され、ブラジルをはじめとする中南米諸国に25万人の移民をここから送り出した。現在は「海外移住と文化の交流センター」として使われ、1階と2階の「移住ミュージアム」が長い移民の歴史を伝えている。
19世紀末以降、日本からハワイ、北米に向けて多くの人たちが豊かな暮らしを求めて海を渡った。しかし、現地での摩擦が起き、米国で排日移民法(24年)が施行され、移民が禁止された。以降、米国に代わって最大の移民先になったのがブラジルだった。
「現在の日本とは全く逆で、人口が増え続けていた時代。広島や沖縄、熊本、山口など各地から多くの人が集まり、神戸港から海を渡りました」。ミュージアムの楠正暢・専門調査員が歴史をひもとく。移民は国策として進められ、新聞や広告、映画などで夢のような話が流された。しかし、現地には期待した肥沃(ひよく)な農地はなく、荒れ地を開拓するなどして苦労を重ねた。「戦後、ブラジルのアマゾン川流域に渡った人たちは特に大変で、『緑の地獄』とも呼ばれたようです」
大阪府箕面市に住む長谷川真子さん(74)も移民を経験した一人だ。山口県出身の両親は戦時中は旧満州(現中国東北部)に渡っていたが、帰国後はブラジルに夢を求めた。家族7人で渡航したのは57年、長谷川さんは7歳だった。「現地に行けば立派な2階建ての家と土地があるという話でしたが、現実は全く違いました」
到着したのはブラジル北部パラー州。父母や兄たちが米やコショウなどを栽培し、家族総出でヤシの木をさいて家を建てた。長谷川さんはランドセルを背負い、小さな船に乗って現地の学校に通い、ポルトガル語が全くわからないまま授業を受けた。やがて日本人集落の仲間で学校を建て、徐々に子どもの教育、生活を立て直していった。
その後、家族で大都市サンパウロに移る。長谷川さんは、日本企業の駐在員として赴任していた日本人男性と結婚し、3人の子どもを育てた。91年に夫の仕事の都合で日本へ。子どもたちは徐々に日本の生活に慣れたが、いじめも受けたという。「同じ日本人なのに、ブラジル帰りで避けられたのでしょう」
08年から高度成長期まで続いたブラジル移民の歴史は、日本が貧しかった時代と重なる。そして80年代後半、バブル景気が訪れ、労働力不足が深刻化するようになると、逆に移民の子孫である日系ブラジル人が来日するようになる。90年に入管法が改正され、日系2世、3世には特別な在留資格が出された。多くの日系人が製造業、建設業などを支えたが、バブルが崩壊すると、真っ先に解雇され、帰国を余儀なくされる人が相次いだ。日本の景気次第で都合良く受け入れ、都合が悪くなると追い出す。政府や財界の思惑に翻弄(ほんろう)された。
そんな仲間を知る長谷川さんは「日系ブラジル人は、もともと日本人の血をひく人たち。もっときちんとした扱いを受けるべきではないでしょうか」と首をかしげる。
それでも相当数のブラジル人が日本に残り、今は4世、5世の時代を迎えている。長谷川さんは現在、センター内に事務局がある「関西ブラジル人コミュニティ(CBK)」で活動する。日本で生まれ育った子どもたちには、親の母国語であるポルトガル語を教え、ブラジル育ちの親たちには日本語を手助けする。
長谷川さんはCBKの活動以外に、兵庫県内の小学校に出向き、孤立しがちな日系人の子どもを支える活動も続ける。同級生も教師も歴史の移民を知らないケースが多く、「なんでブラジルから来たの」などと心ない言葉で子どもが傷つけられているという。
「私は日本もブラジルもどちらも好き」。そう話す長谷川さんだが、「日本の社会は自分たちの枠を作り、外国から来た人にどこか線を引いている感じがします」と首をかしげる。
ブラジルに移民で渡った日本人たちは当初、差別を受けて苦労を重ねた。しかし、教育を重んじて力をつけ、次第に各界で活躍するようになった。現在は約200万人の日系人社会ができ、ブラジルを支えている。
日本とブラジルの交流を進める「日伯(にっぱく)協会」の井沢誠一事務局長は「日本から最も遠い場所に、最大の日系人社会があることはもっと知られていい」と話す。今後、日本では人口減少が進み、外国人の受け入れ、多文化共生が不可欠になる。そんな現状をふまえ、井沢さんは問いかける。「日本人移民、日系人が現地で受け入れられるようになった歴史は、日本で今後、外国人を受け入れていく際の手本になるのではないでしょうか」【鵜塚健】
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