日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に贈られるノーベル平和賞の授賞式が10日、ノルウェー・オスロで開かれます。日本被団協は「核兵器のない世界」を目指し、被爆体験の証言活動に積極的に取り組んできました。
核兵器を巡る国際情勢が緊迫化する中、1945年8月の広島、長崎への原爆投下に伴う被爆者が今も大勢います。79年前の原爆の何が今も被爆者を苦しめているのでしょうか。国の援護はどうなっているのでしょうか。そもそも、どのような人たちが被爆者としてその対象になるのでしょうか。
Q 国内には何人の被爆者がいるの?
A 厚生労働省の資料では2024年3月末現在、10万6825人です。都道府県別では、広島県が5万1275人、長崎県が2万5966人で、全体の7割超を占めます。両県出身者が多い福岡県(4311人)▽東京都(3557人)▽大阪府(3437人)――をはじめ、全国に暮らしています。
Q この資料では、どういう人が被爆者としてカウントされているのだろう。
A 被爆者のための医療や福祉など総合的な施策について国が責任を持つことを定めた「被爆者援護法」という法律があります。
要件に当てはまる人を都道府県や広島市、長崎市が被爆者と認め、公的な証明とも言える「被爆者健康手帳」を交付しています。資料で数えられているのは手帳を持っている人数です。
Q 高齢化していると聞くよ。
A 平均年齢は85・58歳。手帳の所持者は年々減少し、最多だった80年度末の37万2264人から3分の1以下になりました。
Q どんな人が被爆者として認められるの?
A 被爆者援護法では1~4号まで四つの区分の被爆者を定めています。
1号は原爆投下時(広島市は45年8月6日、長崎市は8月9日)に被爆地域(当時の広島・長崎市内と市外の指定する隣接区域)にいた人で「直接被爆者」と呼ばれます。
2号は、原爆投下から2週間以内に広島と長崎の爆心地から約2キロ以内に立ち入った人です。「入市(にゅうし)被爆者」と呼ばれます。
3号は、例えば遠方の自宅に戻ってきた負傷者の世話や、救護所での活動や遺体の処理などに伴い放射能の影響を受ける状況にあった人で、「救護被爆者」と呼ばれる人が含まれます。広島原爆の後に降った「黒い雨」で特定の病気になった人もここに入ります。
4号は原爆投下時にまだ生まれておらず、母親のおなかの中にいた「胎内被爆者」と呼ばれる人です。
Q 同じ被爆者といっても、いろいろな人がいるんだね。それぞれ、どれぐらいの人数がいるの?
A 厚労省の資料によると、1号被爆者が全体の6割に当たる6万3337人▽2号が1万9990人▽3号が1万6984人▽4号が6514人――となっています。【宇城昇】
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