1987年に朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)で記者2人が散弾銃で殺傷された事件から3日で37年となった。亡くなった小尻知博記者(当時29)の遺影を飾った祭壇が支局に設けられ、追悼に訪れた人たちは「言論の自由が脅かされた危機的な事件を風化させてはならない」と決意を新たにした。
職場が近かったという西宮市の森川ゆかりさん(67)は遺影に向かい手を合わせ、「言論の封殺はウクライナに侵攻するロシアなど海外で今も続いている。事件を知らない若い世代にも関心を持ってもらいたい」と話した。同市の上田ゆかりさん(76)は「憲法記念日に事件が起きた意味を考えてほしい」と語った。
今年は新型コロナウイルス禍で取りやめていた記帳台設置と資料室の一般公開を5年ぶりに実施。散弾が撃ち込まれた痕のある服や取材ノートなどの遺品が展示された。
同日午前、朝日新聞社幹部3人が小尻記者の出身地である広島県呉市を訪れ、墓参りをした。終了後、龍沢正之大阪本社編集局長(54)は「暴力に屈しないこと、言論の自由を守っていくことを改めて誓う」と述べた。
事件は87年5月3日夜に発生。目出し帽姿の男が支局に押し入り、銃撃された小尻記者が死亡、同僚が重傷を負った。報道機関に「赤報隊」を名乗る犯行声明が届き、未解決のまま2002年に公訴時効が成立した。〔共同〕
【関連記事】
- ・元首相銃撃への「共感」に危うさ 問われる「正しい力」
- ・[FT]SNSは言論の自由に適さず
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。