静岡県の三嶋大社で約100年前に撮影されたと思われる写真が大量に見つかった。中には関東大震災で崩落した鳥居とみられる写真もある。震災の恐怖と復興の道のりを伝えようと一部の写真はAI技術を活用して色付けし動画にする予定だ。
「先輩から託されたバトン」
三嶋大社の様子を写したモノクロの写真。
これらは今から約100年前に撮影されたもので、中にはドローンで撮影したような写真もある。
見つかったのはガラス乾板を使った写真183枚。地震で被災した境内や修復工事の様子などを写したものだ。
これらは、2023年3月に社殿の耐震補強などの工事に向けて「神庫」と呼ばれる建物で資料を整理する中で見つかった。フタのない木の箱に入っていたそうだ。
三嶋大社・矢田部盛男 宮司:
(私たちが見つけたのは)“めぐりあわせ”と言いますか、復興の象徴として本殿をはじめ境内施設の修復の様子を撮影したのではないかと推測される撮り方をしているので、「先輩方から託されたバトンのひとつ」ととらえています
ドローン撮影のような写真も
専門家に確認してもらったところ、中には1923年の関東大震災や1930年に三島市で震度6を観測した北伊豆地震の被害状況を記録した写真が含まれていた。
地震の状況がわかる貴重な写真。三嶋大社は以前から保管されていた写真103枚と、今回見つかった183枚の計286枚をデジタル化し、約1年かけて調査を進めてきた。
日本カメラ博物館の井桜直美 研究員はドローンで撮影したような視点の写真について「現在も宝物館の前にある大きな木か、その周辺の建物の上にやぐらを作って見下ろして撮影した」と推測する。
地震で鳥居崩落 神社は避難所に
また、別の写真には鳥居が乗っていたような台石がみえる。鳥居の最上部の「笠木」と、その下の「貫(ぬき)」と呼ばれる部分が崩れ落ちてしまったようだ。
ガラス乾板が使われていた時期に三島市は2つの地震に襲われた。
1923年9月1日の関東大震災と1930年11月26日に発生した北伊豆地震だ。
中には書かれている日付や写真に写った文字を分析することで内容が推測できるものもある。
井桜直美 研究員は「九月十二日 大社」と書かれていることを理由に、写真は1923年9月1日に発生した関東大震災の後に撮影された舞殿と分析。
さらに写真には「救護所 日本赤十字社静岡支部」と書かれた立て看板や「宝物館」と記された高札が見えるほか、「つき餅二時半~四時 二回炊きだす」と書かれた張り紙も読み取ることができることから、井桜研究員は「写真の建物は宝物館で、震災後に避難所になっていた」と解説する。
事実、当時、三嶋大社には避難所が設けられていたそうだ。
AIで古写真がカラー動画に
誇らしげに本殿にかけられた足場に並ぶ職人たち。これは震災後の改修工事の様子と見られる。
調査の結果、本殿は震度7程度の揺れでも倒壊しないという、現在の厳しい耐震基準を満たしていた。当時の職人たちの優れた技術が、100年を経た今も建物を支えつづけている。
一部の写真についてはAIを活用した技術で色付けし、3D化する作業も行われている。ビデオ撮影したような画像になる予定だ。
三嶋大社の宝物館には当時の様子を記した日誌が残されていて、今後は そうした資料とのすり合わせなどを通して、撮影された年代や何が映っているかなどの調査していくという。
「非常に大変な思いして社殿を立て残してくれた先人たちの思いを引き継いで、令和においてもしっかり先人から学び、(次の世代に)つなげていくことを心掛けたい」と話すのは三嶋大社の矢田部盛男 宮司だ。
100年の時を超えて、現代によみがえる震災当時の風景。
「万が一のために常に備えを」という、先人たちが残したメッセージなのかもしれない。
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