日本海を背に白米千枚田で田植えをする田のオーナーや白米千枚田愛耕会のメンバー=石川県輪島市で2024年5月11日午前11時32分、阿部弘賢撮影

 「能登の里山里海」の一部として世界農業遺産に認定されている棚田「白米千枚田(しろよねせんまいだ)」(石川県輪島市)で11日、田植えが始まった。1月の能登半島地震の影響で大きな被害を受けたが、一部で作付けにこぎ着けた。

 日本海に面した急斜面に耕された1004枚の田んぼ(約4ヘクタール)のほとんどは、茶色い土があらわになっている。だが、およそ120枚、0・3ヘクタールほどには水が張られ、初夏の日差しが反射していた。

 汗ばむ陽気の中、関西や関東から訪れた棚田の「オーナー」ら約50人は腰をかがめて、次々と苗を植えていった。

 「こんなに人が集まって田植えができるとは思わなかったので、不思議な光景。うれしい驚きです」

カメラを手に、田植えの様子をうれしそうに見つめる白米千枚田愛耕会の白尾真紀子さん(手前)=石川県輪島市の白米千枚田で2024年5月11日午前11時16分、阿部弘賢撮影

 地元農家らでつくる団体「白米千枚田愛耕会」の白尾真紀子さん(40)は、その様子を見守りながら笑顔を見せた。

 約400年前から受け継がれていると言われている千枚田には以前、少子高齢化や過疎化に伴って耕作放棄地があった。地元住民らが何とかしようと、2007年に耕作放棄地の「オーナー」を募ることにした。

 会費制にして、オーナーには田植えや刈り取りなどの作業に定期的に参加してもらう。日ごろの手入れは、近くに暮らす愛耕会のメンバーらが受け持つことで、美しい景観を保ってきた。

 隣にある道の駅からは、千枚田を上から望むことができる。大勢の観光客が訪れ、能登半島有数の観光地になった。

 ところが、1月の地震で市内は震度7の揺れに見舞われた。棚田には無数の深い亀裂が生じ、農業用水路も壊れた。

 白尾さんら愛耕会のメンバーが住む南志見(なじみ)地区は付近の道路が寸断し、一時的に孤立した。家族を亡くしたり、自宅が全壊したりした人もいて、100キロ以上離れた金沢市への集団避難を余儀なくされた。

能登半島地震で被災した白米千枚田。地震から4カ月が過ぎても、棚田が崩れ落ち、用水路が壊れたままのところもあった=石川県輪島市で2024年5月11日午前9時38分、阿部弘賢撮影

 そんな中で、全国から励ましの電話などが寄せられた。愛耕会のメンバーの心に、先人たちが守ってきた「財産」を途絶えさせるわけにはいかないという思いが湧き、米作りを目指すことにした。

 2月上旬にクラウドファンディング(CF)で修復費用などを募ったところ、約2週間で目標額の1000万円に達した。最終的には1800万円を超える資金が集まった。

 白尾さんは「この景色を守りたい人がこんなにたくさんいるんだと知って、感動した」と話す。

 4月に入り、愛耕会のメンバー十数人が棚田の修復に取りかかった。水を入れてみると、地面に高低差ができていたり、あぜが下がっていたりしたのが見つかり、そのたびに土を運んで補修した。

 メンバーの約半数は、片道約3時間かけて避難先の金沢市から通っていた。少しでも負担を軽減しようと、休業中の道の駅の建物内に段ボールベッドを組み立て、週に3~4日はそこで寝泊まりしながら作業を続けた。白尾さんは「準備は例年の3倍以上大変だった」と振り返る。

 「これまでも棚田を守っていきたいという思いは強かったが、地震後は作業をしながら日常を過ごす喜びも感じられるようになった。先のことは考えられないが、まずは今年植えた田んぼでおいしいお米ができるようにお世話したい。自分たちの宝物として、千枚田をずっと残していきたい」【阿部弘賢】

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