望遠鏡が設置されたドームが並ぶ観測所で笑顔を見せる板垣公一さん=山形市で2024年5月27日、手塚耕一郎撮影
写真一覧

 ある日突然、太陽の何億倍もの明るさで星が輝き出す「超新星」。大きな質量を持った星が、寿命の最後に大爆発するなどの現象のことです。超新星を国内で最も多い179個発見し、世界的な「超新星ハンター」として知られる山形市在住の板垣公一さん(76)を訪ね、超新星発見の魅力を伺いました。

 山形市の中心部から蔵王連峰の山麓(さんろく)に向かって30分ほど運転すると、銀色に輝く四つのドームが見えてきます。観測室などを備えた板垣さんの観測拠点です。ドームには主力となっている口径60センチ反射望遠鏡などが納められています。

 板垣さんは個人としての超新星発見数が世界2位のアマチュア捜索家です。探索の主な対象は、数千万~1億光年以上も遠くの銀河。超新星は一つの銀河では数十年に1度程度起きる現象です。板垣さんは無数の銀河を撮影、以前の写真と比較し、小さな点のように写る、新たな星を探していきます。「昨日は無かった所に、輝く光を見つけるのがとても楽しいのです」と語ります。

超新星捜索の主力となっている、口径60センチの反射望遠鏡の前で笑顔を見せる板垣公一さん=山形市で2024年5月27日、手塚耕一郎撮影
写真一覧

 板垣さんの観測所は山形だけでなく、より晴天率の高い岡山県や高知県にも2台ずつ望遠鏡を設置しています。山形から遠隔操作でドームの開閉や望遠鏡での撮影ができる観測拠点です。1カ月で20日ほど、ひと晩で平均2000枚もの写真を撮影します。ボタン一つで過去に撮影した写真と並べて比較できるシステムを作り上げており、驚異的な観測量を支えています。

きっかけは19歳少年の彗星発見

 小学生でレンズに興味を持ったという板垣さんは、望遠鏡を中学生で手に入れました。19歳の池谷薫さんが「池谷彗星(すいせい)」を発見した新聞報道がきっかけで、彗星捜索に興味を持ちます。高校生まで小さな望遠鏡で捜索していましたが、最初は「ままごとのような星探し」だったと笑います。

 高校卒業後は意欲的に彗星捜索を行い、1968年には「多胡・本田・山本彗星」を見つけていましたが、発見報告に至らず板垣という名は付きませんでした。

小型のドーム内に設置された、口径10センチ屈折望遠鏡を確認する板垣公一さん。使い勝手や性能を引き出すために手を加えた部分が各所に見られる=山形市で2024年5月27日、手塚耕一郎撮影
写真一覧

 板垣さんの本業は、山形市で豆菓子の製造・販売を手がける「豆の板垣」の社長です。父が病で亡くなり37歳で会社を継ぎました。忙しい会社経営の傍ら、捜索への情熱が消えることはありませんでした。

2位ではダメな超新星捜索

 87年には、16万光年離れた銀河「大マゼラン雲」に、肉眼で見られる超新星(SN1987A)が現れ、超新星の研究が世界中で活発になります。90年代後半から各国機関などが、地球に接近する天体を監視するシステムを整備しました。個人の彗星発見が難しくなり、次第に超新星へと興味が向かいました。

 観測対象を超新星に切り替えた翌年の2001年5月、おとめ座の銀河に現れた超新星を見つけ、初めて発見者となりました。「最初は本物かどうか自信が無かった」という板垣さんですが、次第に発見する数が増え、年間で10個以上見つけたこともあります。

 超新星は近年、毎年1000個以上が見つかっていますが、多くは世界各地で行われている自動捜索システムによる発見です。自動捜索は、超新星でない暗い天体も発見し、次々と報告するそうです。

 捜索争いは厳しく、「超新星が光り出してから、誰も何日間も気づかないことはまずない」と板垣さんは言います。今年5月10日には、しし座の銀河に現れた超新星(SN2024inv)を見つけましたが、国際天文学連合(IAU)への報告が海外の観測チームより約7分遅く、板垣さんは発見者になりませんでした。「見つけても慎重に確認し、報告するまで30分程度はかかる。もう少し早く報告していれば」と悔やみます。

諦めずに再発見

 一方、最も思い出深いのは06年の発見だと言います。板垣さんは04年、やまねこ座の銀河で増光する天体を見つけました。IAUに報告したものの、その他の観測から超新星ではないと結論づけられました。

 しかし、ずっと気がかりだった板垣さんは、この銀河の観測を続けました。そして06年10月、同じ場所で再び明るく輝く星を発見します。直ちに報告を行い、板垣さんは超新星(SN2006jc)の発見者となりました。

 この超新星は、04年に発見した星と同じでした。板垣さんが詳細な観測を行っていたことで、2度の爆発が生じた、かつて観測例の無いケースだと判明しました。「偶然の出来過ぎです」と喜びを語ります。英科学雑誌「ネイチャー」にも論文が掲載され、共著者として記されました。

「天文学の発展につながってほしい」

 板垣さんはただ超新星を見つけるだけでなく、発見した超新星が「天文学の発展につながってほしい」と願っています。これまでネイチャーの論文に4度、共著として名前が載り、「自分が見つけた超新星を、世界の大望遠鏡や人工衛星などが観測してくれるのは喜び」と語ります。超新星爆発は未解明な事が多く、いち早い発見が世界の研究の成果にも大きく寄与します。板垣さんが昨年おおぐま座の銀河「M101」で発見した超新星(SN2023ixf)は、11等級まで増光し、14年以降最も明るい超新星となりました。「銀河の距離(約2200万光年)や超新星のタイプを考えると、11等は明る過ぎる」と言います。この星がなぜ他の超新星より明るく輝いたのか。今も撮影できるこの超新星の観測を続けています。

たくさんのパソコンとモニターが並ぶ観測室で、パソコン画面を見つめる板垣公一さん。複数の望遠鏡での観測はすべて遠隔操作で行う=山形市で2024年5月27日、手塚耕一郎撮影
写真一覧

 年を重ね「最近は徹夜するのはやめました」と話す板垣さん。数よりも、研究に寄与する発見をしたいと考え、より明るい超新星が観測できる近い銀河を重点的に探しているそうです。夢はアンドロメダ銀河や、地球が含まれる天の川銀河で輝く超新星を発見し観測すること。「85歳までは観測を続けたい」。少年のようなまなざしは、今日もかなたの銀河に向けられています。【手塚耕一郎】

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。