修復した掛軸の柔軟性を「林原・新古糊」(左)と従来の製法で作られた古糊で比較

<掛け軸や巻き物の本紙と裏打紙の接着に使用される「古糊」は、製造に約10年の年月を要するため、急なニーズに対応できないという弱点があった。一方、2010年に発表された「林原・新古糊」は古糊とほとんど同じ機能を持つ上に、約2週間という短期間で製造される。この素材の価値と開発背景を紹介する>

岡山県に本社を置くバイオ企業・林原(※)の製造する素材が今日、文化財保存の分野で活躍している。

※ 林原は2024年4月1日より、社名を「Nagase Viita(ナガセヴィータ)」に変更する。「Viita(ヴィータ)」は「生命/暮らし」を表すラテン語の「Vita」に「i」を加え、生命が寄り添う様子を表現した造語

なかでも注目なのが、木材や金属を保存する効果が認められた多機能糖質のトレハロースだ。1995年に同社が量産化に成功したことで、それまで化粧品や医療品に限られていた使用範囲が食品にも広がり、今では幅広い用途で使われるようになった糖の一種である。長崎県松浦市では、海中から引き揚げられた「元寇」沈没船の遺物を保存するプロジェクトに用いられている。

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文化財保存に貢献している同社の素材は、トレハロース以外にもある。2010年から販売している「林原・新古糊(しんふるのり)」もその一つだ。貴重な美術品を後世に伝えるために重宝される「新しくて古い糊」とは一体どんな素材なのか──。

10年要する工程を2週間で製造

まずは、「古糊(ふるのり)」について説明する必要があるだろう。古糊は、小麦でんぷんを煮て作った糊を10年ほど熟成させたもの。掛け軸や巻き物の本紙と裏打紙の接着に使用されている、日本の伝統的な材料だ。

接着力が適度で乾燥後も柔軟性を保ち、修復時には水分を与えれば簡単に剥がせるという特長がある。だが一方で、製造に長い時間を要し、一定量を超える急な使用ニーズに対応しにくいという弱点があった。

そこで2002年、バイオ技術に強い林原と国立文化財機構東京文化財研究(東文研)、文化財の保存・修復を手掛ける京都の企業、岡墨光堂が共同で、古糊と同じ特徴を持つ糊の開発に着手した。林原の広報担当者は、開発の経緯と意義を次のように説明する。

「古糊は入手しにくいため、安易に合成接着剤による修復が行われてしまうケースがあり、将来の修復が不可能になることが懸念されました。当社のでんぷんに対する知見を活かし、国内外にある日本の文化財を後世に引き継ぐことを目指しました。過去に複数のアカデミアが挑戦するも確定には至らなかった古糊の生成メカニズムを解明することによって、技術力の証明になるとも考えました」

林原・新古糊

そして、8年の年月を経てついに「新古糊」発表に至る。古糊を科学的に分析したところ、熟成過程で微生物の酵素の関与が推察されたため、小麦でんぷんに酵素の一種のアミラーゼを作用させて条件を整えた。これにより、約2週間という短期間で古糊と同様の性質を持つ古糊様多糖を製造することに成功したのだ。

「100年後の修復を担保するために、古糊と同じ機能を持つことはもちろん、構造的に限りなく同じものを作るというアプローチで開発しました」と担当者が話すとおり、福山大学(広島県)と共同で行った比較研究では古糊と新古糊は「ほぼ同一」との結果が得られた。

修復業者やアカデミア、海外の博物館から需要

実際、古糊を熟知する修復師からも好評で、古糊と比較しても「感触に違和感がない」「臭いまで似ていて驚いた」「粒子が均一でより使いやすい」などと評価されているという。

新古糊の発売から14年。修復業者やアカデミア、さらには海外の博物館などへの販売実績があり、繰り返し買い求める顧客もいる。販売数量は多くないものの増加傾向にあり、リピーターの存在はそのまま製品の価値を証明していると言っても過言ではない。

「新古糊の物性を生かした工業材料や食品、化粧品などへの横展開や、でんぷんから新古糊を作る技術を用いた新しい製品の創生も考えられます」

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