今や大型バス=リアエンジン式が当たり前で、「ボンネットバス」と聞けば物凄く古い時代のバスというイメージを抱く。とはいえボンネットバスが普通だった時代も歴史の記録から見てとれる。では、どのような経緯でボンネット型からリアエンジン式へと変わっていったのだろうか。

文・写真(特記以外):中山修一
(ボンネットバスにまつわる写真付き記事はバスマガジンWebもしくはベストカーWebをご覧ください)

■ボンネットが普通の時代

戦前製路線バス車両の例(神戸市営二十年史 1937 より)

 自動車が黎明期を経て一般にも広まり始めた戦前の日本では、ジャンルをバス車両に絞った上で見る限り、試作的なものを除いてほとんどの実用車がボンネット型をしている。

 当時はシャーシと車体を別々のメーカーが製造して、最後に組み合わせる工法が主流で、シャーシがトラックと共通設計だったものが多かった。

 トラックはボンネット型が一般的であったため、バスもトラックのお作法に則っていた、と考えられる。ちなみに戦前は大型車でもガソリンエンジンが標準だった。

■ボンネット型の泣きどころ

 木炭バスを始めとする戦中設計の代燃車や、当時一応の実用レベルまで到達していた電気バスを経て、戦後になるとガソリンエンジンを搭載したボンネットバスが再び作られるようになった。

 それまでは大きく重く、言われるほどコストも安くなかったディーゼルエンジンがより洗練され、効率がよくなったことから、とりわけ大型車の動力として台頭し始めたのも、戦後まもなくの出来事だったようだ。

 時代の流れに合わせて、ディーゼルエンジンを選べるボンネットバス車両が登場した。しかし洗練されたとはいえ、昔のディーゼルエンジンは音が相当うるさかったらしい。

 車体の前にエンジンを置くと、走行中の騒音がひどく、振動が直接車内に伝わる上、エンジンから発するニオイが入ってきて気になる、という弱点を持っていた。

■需要がバスの形を変えた

 時を同じくして、公共交通機関の需要が増大し、路線バスにも従来以上の輸送力が求められ、車両を大型化する必要が出てきた。

 そんな中、1940年代後半に考え出された解決策の一つが、「トレーラーバス」と呼ばれる、客車をセミトレーラーで牽引するタイプのバス車両。

 トレーラーバスは従来のバスよりも定員は劇的に増やせた(100名ほど)のだが、「大人数を詰め込むバスを少ない本数でやりくりするよりも、そこそこの人数が乗れる車が何台も立て続けに来た方が良い」といった利用者の意見があったようだ。

 エンジンが前に付いている構造上、あまり車体を延長できないボンネットバスでは輸送力の増強が難しい……そこで誕生したのが、エンジンを後ろに配置した箱型車体のリアエンジンバスだった。

現代の大型バス車両は殆どがリアエンジン方式だ

 リアエンジンにすれば車体の大型化ができ、車内面積を広く取れるため定員も増やせる。エンジンの騒音や振動、ニオイに関してもフロントエンジン式に比べれば遥かに軽減でき、重量を減らしつつ車体の強度を上げられる等、リアエンジンバスにはメリットが多かった。

 さらに、バスを走らせれば大抵は儲かったと伝えられる時代背景も手伝い、ならばと参入してくるバス事業者が、それなりに多くの人を一度に運べる=一回でより高い利益が出せつつ、比較的低コストで頭数を揃えられるリアエンジンバスを求めるようになった。

 そんな時代のニーズも、次第にバス車両のパワーバランスがボンネット型からリアエンジン式へと移った理由の一つだったと考えられる。

1951年製キャブオーバーバス

 ちなみに、フロントエンジン式のシャーシに箱型車体を載せた「キャブオーバーバス」というスタイルの車両も作られ、営業運転に使っていた事業者もあったが、キャブオーバーバスは過渡期のもので、それほど普及しなかった。

■都会では淘汰されたけれど……

 1949年に民生デイゼル工業(現在のUDトラックス)がリアエンジンバスを発表したのち、各メーカーから同種のバス車両がリリースされるようになり、1960年代の後半になると、ボンネットバスは都会から次々と姿を消していった。

 しかし、都会とは対照的に引き続きボンネットバスが使われた場所もある。主に地方のマクロな交通を担うローカル線だ。

山間地域向けに作られた1965年式日産ディーゼルU690

 しばらくの間ローカル線でボンネットバスが安泰だったのには理由があったと言われる。その昔、ローカル路線バスが走る、いわゆる田舎道は軒並み未舗装で狭かった。

 その点、車体が比較的小柄なボンネットバスは、狭い所に入って行くのが容易で悪路にも強い長所を持っており、劣悪な道路状況に対して都合が良かったらしい。

 最も重要だったと思われるのは、ハードウェア的なスペックよりも、バスを運転している現場の“慣れ”の問題だろう。ずっと高性能で操作性の良い新型が出たところで、使い慣れたものを易々と手放せるわけがないと考えるのは人のココロ。

 ボンネットバスが現役だった時代の文献を見ると「ボンネットバスのほうが運転しやすい」という、ローカル線区を受け持つバス乗務員の感想が載っている。

 最終的にボンネットバスは1970年代の始め頃まで製造していたメーカーがあった。その後はローカル線のボンネットバスも、道路が整備されたり、車両の耐用年数が過ぎたり、バス路線自体が廃止なったり等、様々な理由から現役を退いていった。

■一度忘れられたものは名を残す

 現在はイベントや展示用に状態維持、もしくはレストアされた保存車が大半を占めるボンネットバスであるが、「保存車」の枠組みで見るなら、日の目を見て生き残っている数は、同年代のリアエンジンバスよりもむしろ多いような気がする。

「最後のボンネットバス」と言われる、四輪駆動の1971年式いすゞTSD40

 確かに、今のバスとは全然違う形をしていて、物珍しさからすれば、ボンネットバスはリアエンジン方式に増して、より注目したくなる個性と魅力を持っていると言えそう。

 これはちょうど国鉄の時代に作られた、古い電気機関車やディーゼル機関車を復活させる動きは極めてレアケースな反面、蒸気機関車はあちこちで動態保存されている構図と似ているかも知れない。

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