人によって、もしくは見方を変えると不遇の時代にも見える80-90年代のクルマたち。しかし、令和の時代になってその価値が見直されているクルマが多く、相場や人気の上昇に繋がっている。その一例、アルファロメオが作ったスポーツサルーンの魅力を再確認してみたい。
文:古賀貴司(自動車王国) 写真:ベストカー編集部
■激戦区のカテゴリーに投入された4ドアサルーン
1999年、イタリアの名門アルファ ロメオから一台の野心作が発表された。アルファ166である。
当時のアルファ ロメオにおけるフラッグシップモデルとして投入された同車は、新車価格約600万円という価格帯で、BMW 5シリーズやメルセデス・ベンツEクラス、アウディA6といったドイツ御三家の中核モデルに真っ向から挑戦する意欲作だった。
日本市場には2.5Lと3.0Lの2種類のV6エンジンが導入され、いずれもシーケンシャルモード付きの4速AT、右ハンドル仕様という日本市場への配慮もされていた。ここで興味深いエピソードがある。
イタリアから誤って輸出された6速MTモデル(右ハンドル)が50台だけ日本に”正規輸入車”として流通しているという話だ。
都市伝説のような話かと思いきや、確かに中古車市場には並行輸入された6速MT車と共に、正規輸入車も存在している。
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■現代では考えられない独自のデザイン
デザインこそが166の真骨頂である。タレ目のヘッドライトを配した個性的なフロントマスクは、発売から四半世紀を経た今なお、その斬新さを失っていない。
ボディサイドには“えぐれた”ようなキャラクターラインが刻まれ、セダンとしては異例とも言えるダイナミックな表現が施されている。
このサイドビューだけでも、多くのエンスージアストの心を掴んで離さない魅力がある。インテリアもまた、独創的な世界観に満ちている。
スポーツカーを思わせる大胆な凹凸を持つシートデザインは、セダンの常識を打ち破る挑戦的なものだった。ただし、見た目ほどのホールド性は期待できず、また体格によってはベストなドライビングポジションを得られにくいという欠点も併せ持っていた。
特に手足の短いドライバーにとっては、やや扱いづらい設計だったかもしれない。
インストゥルメントパネルは、当時流行していた“人間工学に基づく”設計思想を取り入れながらも、アルファロメオならではの個性を打ち出している。
多くのライバル車が直線的なデザインを採用する中、166は曲線の美しさを強調。ドライバーを中心に据えたコックピットは、まるで航空機のそれを思わせる雰囲気すら漂わせている。
ただし、今見ると、カーナビゲーションモニターの低い設置位置など、実用面での課題も目につく。
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■166から垣間見えるイタリア車らしさ
性能面では、正直なところ特筆すべき要素に乏しい。2.5リッターV6エンジンは最高出力190psと、同クラスではやや物足りない数値。3.0リッターV6も226psと決して低くない出力を誇るものの、官能的なエンジンサウンド以外にこれといった特徴を見出しづらい。
FFレイアウトを採用しているため、ライバルのドイツ車のような軽快な操縦性も期待できない。
特に都市部での取り回しには慎重さが求められる。狭い道での旋回時には、まるでトラックのように大きく膨らむ軌道を描かざるを得ず、周囲から「運転が下手なのでは?」と誤解されかねない場面すら経験することになる。
しかし、こうしたネガティブな要素を列挙してもなお、166には魅惑的である。デビューから25年を経た今、本車は既に”ネオクラシック”の領域に足を踏み入れつつある。
そう考えると、上述した欠点はもはや些末な話に過ぎない。実際、中古車市場での評価も上昇傾向にあり、良好な状態の個体であれば100万円台後半で取引されている。
これは数年前と比べても確実な値上がりを示している。
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■現在の評価は10年後にはどうなっている?
166は、着心地は決して良好とは言えないものの、見た目は最高にクールな一着の服のようなものだ。
実用性や快適性といった客観的な物差しでは測れない、独特の魅力を持つクルマなのである。時を経るごとに、そのカリスマ性は増しているようにも感じられる。
「不完全さ」こそが、166の魅力を形作る重要な要素となっているのではないだろうか。
完璧を求めすぎないイタリア的な寛容さが、このクルマには詰まっている。
そして、その不完全さを受け入れられる者だけが、真の166オーナーとしての資格を得られるのかもしれない。
そこには、数値やスペックでは語れない、クルマという道具を超えた芸術品としての価値が確かに存在している。
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