AI(人工知能)の出現で激変した将棋界。棋士たちはAI研究に明け暮れ、若手に比べ脳体力で劣るベテランにとっては苦難の時代となっている。そんな中、一昨年に「十七世名人」(永世名人)を襲位した谷川浩司さん(62)はいまなお現役で戦い続ける。通算1400勝まであと9勝、歴代2位・大山康晴十五世名人の1433勝も視野に入った。また将棋界の重鎮として関西将棋会館(大阪市福島区)の大阪府高槻市への移転にもかかわる。自身の棋士人生について、今の将棋界について、何を思うのか。
現役で名乗る永世名人
「現役のまま十七世名人を名乗ってもいいのか、迷いもありました」
還暦を迎えた令和4年の春、日本将棋連盟理事会から永世名人襲位の打診があったときを振り返り、当時の心境をこう語る。
400年以上の歴史と重みのある名人の永世称号は名人のタイトルを5期以上保持した棋士に与えられる。谷川さんは通算5期で35歳のときに資格を得ているが、名乗るのは引退後が原則だ。
18期の大山康晴十五世名人が53歳のときに、15期の中原誠十六世名人が60歳のときに、いずれも現役時代に永世名人に襲位した例はあるが、「両先生とも時代を長く築いた大名人。私は5期ぎりぎりで、時代を築くことはできませんでした」。引退後ならともかく、現役のまま名乗ることに躊躇(ちゅうちょ)したわけである。
だが、タイトル獲得通算27期という実績や、連盟会長を務めた功績などが評価されての推薦の打診。腹をくくり、「ありがたくお受けすることにしました」。
同年5月に十七世名人を襲位して以降、対局に臨む気持ちが変わった。消費時間を確認しようと記録係の手元にあるタブレットにチラッと目をやると、「谷川浩司十七世名人」と表示されているのが目に飛び込んでくる。「いい加減な将棋は指せないぞ、と気が引き締まります」。称号を背負っての対局は相当な重圧がかかるが、それはいい方向に働いているようだ。
当面の目標は目前に迫った通算1400勝とその先にある大山十五世名人の持つ通算1433勝を抜くこと。「目標があると、モチベーションが上がり、努力、精進につながります」。歴代2位と3位とでは見える景色が違う。何とか〝大山超え〟をしたいという。
ところで、自らが持っていた名人獲得の最年少記録(21歳2カ月)を昨年6月、20歳10カ月で塗り替えた藤井聡太八冠(21)を谷川さんはどうみているのだろうか。
「注目されて重圧がかかる中で100%の実力を発揮できていることがすごい。彼に記録を抜かれるのは仕方なく、光栄です」
これまで2回対局したことがあり、その強さを肌で感じた。印象に残っているのは夜の休憩時のことだ。藤井八冠は早々に夕食を済ませ、将棋盤の前に座って考えていたという。
「まだ中盤に入る前で、この段階では考えても結論は出ません。普通なら頭を休め英気を養うところです。ところが、そんな局面でも彼は考えている。集中力、頭の体力が半端ではないと感じました」
2局とも「できが悪く」いずれも敗戦。「もっといい将棋を指したかった」と力を出し切れなかったことが心残りだという。
関西将棋会館 今秋移転へ
日本将棋連盟の関西本部が置かれている関西将棋会館がこの秋、現在の大阪市福島区から大阪府高槻市に移転する。関西本部所属棋士の大御所で連盟会長を務めたこともある十七世名人の谷川さんは、連盟の創立100周年事業・東西将棋会館建設委員会の委員長として、移転に深くかかわっている。
今の会館への感傷の思いもあるが、「幾多の名勝負が繰り広げられ、将棋ファンに気軽に来てもらえる会館にして、高槻を将棋のまちにしたいと思います」と決意を語る。
関西将棋会館は高槻の新会館が4代目となる。昭和24年、大阪市住吉区に2階建ての持ち家の事務所を構えたのが最初だったが、会館とは名ばかりで、28年に移った同市阿倍野区の2代目も手狭だった。56年になってようやく「西日本の将棋の殿堂」らしい構えの現在の3代目が誕生した。
2代目から4代目と3つの会館を経験することになる谷川さんだが、2代目について「間口が狭く、まるで安い旅館のようでした」と振り返る。プロ棋士養成機関の奨励会時代に4年、プロになってから4年、計8年間をそこで過ごした。
史上2人目の中学生プロ棋士になってから1年後、鼻を折られるような手痛い敗戦を喫した。
「序盤で大きなミスをしてしまい、持ち時間6時間にもかかわらず午後4時ごろには対局が終わってしまったんです」。駅に向かって歩きながら、「お金をいただく以上は、持ち時間をしっかり使って考えて、プロの務めを果たさなければ」と反省。強いプロ意識が芽生えた瞬間だった。
そして棋士人生の大半を過ごすことになる現在の会館。58年、当時史上最年少の21歳2カ月で名人を獲得し、平成4年に棋聖、竜王、王位、王将の四冠を達成するなど、ここを本拠地に華々しい活躍をした。
忘れられないのが、平成7年1月17日に発生した阪神大震災だ。神戸・六甲アイランドの自宅マンションで被災。対岸を見ると、神戸の街は火災の煙が上がっており、「大変なことが起こった」と思った。
3日後の20日に順位戦、23、24日には栃木県で4連覇がかかった王将戦の第2局と重要な対局が立て込んでいた。19日にようやく妻が運転する車で大阪へ向かったが、10時間以上もかかった。大阪ではほぼ日常が保たれていたことがショックだったという。
「対局室の天井には金箔(きんぱく)が貼られているんですが、いつも以上に明るくまぶしく感じました。まるで別世界のように思えました」
王将戦は当時、棋聖、竜王、名人、王位、王座、棋王の六冠を持っていた現将棋連盟会長の羽生善治さん(53)が挑戦者。谷川さんはこの対局に勝ち、最終的にタイトルも防衛、羽生さんの七冠を阻止した。
「当たり前と思っていたことが当たり前ではない、こうして生きていて将棋を指せるだけで幸せなんだと」。初心に戻って将棋に向き合うようになった。
新会館について「今の会館のいいところを残したいですね」。ハード面ではなくソフト面のことである。
現在の会館には棋士がその日に行われている対局の研究をしたり、研究会をしたりする「棋士室」がある。「リーダー格の棋士が中心になって、誰もが分け隔てなく研究できる雰囲気づくりをしてくれました」
連盟本部のある東京の将棋会館には常設されていないこの棋士室。新会館では「さらに広くするよう要望を出した」という。
広がるAI 結論は自分で
囲碁界もそうだが、将棋界がAI全盛になって久しい。今やAIは人間の思考を凌駕(りょうが)し、藤井八冠をはじめとした若手を中心に多くの棋士がAI研究にいそしんでいる。
局面を瞬時に解析して数億手を読む将棋AIの指し手を研究するのは、脳体力がいる。ベテランにとっては相当きついだろう。
いまなお若手らとの対局も多い谷川さんは「AIを使って最先端の流行形を研究するのは覚悟がいります」と話す。
50歳ぐらいまでは自分が最先端の流行形で戦っているという意識があった。たとえば、「角換わり腰掛け銀」という攻守に優れた戦形。谷川さんは長年これを得意としてきたが、AIなどによる研究が進み、「今はまったく変わってしまっている」という。
「若い棋士でも最先端をどこまで理解できているか。藤井さんをはじめとするトップや若手は終盤まで研究しているといわれますが、いいかげんな研究で対局に臨むと、逆に形勢を悪くしてしまいます」
ベテラン棋士に限らずAIとの付き合い方は難しいのである。
ご自身はAIをどのように利用しているのか、と無粋にもストレートに問うと苦笑しながらこう話した。
「公式戦の棋譜をソフトに入力して精査、検討するぐらいはします。一手一手で出てくる評価値とか次の推奨手とかはどうしても見てしまいますね」
ただ、AIどっぷりというわけではない。「研究時間の1割、2割程度というところでしょうか。今から研究方法を大きく変えても効果があるとは思えません」。多くの棋士がAIの指し手を研究し、理解することに重きを置く中、谷川さんは「自分の頭で考えることが大事だ」と強調する。
「もちろんAIの知恵は借りますが、それを取り入れた上で自分なりに考え、最終的に結論を出すのは自分です。自分の頭で考えることを放棄すると、AIに支配されてしまいます」
AIは参考にする程度で、意識して「いい距離感」を保つようにしているようだ。
では、実際の対局では、どのような戦い方をしているのか。AIで研究し尽くされている最新の形では若手たちに後れをとる。谷川さんは「これまでの蓄積が生きるような戦いに持ち込む」ことを心がけている。
具体的には、早い段階で先例のない局面に持ち込むこと。「新しい局面になれば、若手もベテランもありません。頼れるのは自分の頭のみ。両者にとって、充実感を味わえる対局になると思います」。人間同士の人間くさい戦いになれば、長年の蓄積、経験を持つベテランに有利なことも十分あるだろう。
「十七世名人」の称号を背負って現役で戦う以上、ぶざまな将棋は指せない。あと何年できるか、ということは常に頭にあり、「65歳まではやるとして、それ以降は成績しだいですね」と引き際も意識している。
「この相手と将棋を指すのも、この新しい局面を考えるのも、これが最後かもしれない。将棋は、2人で1つの作品を創り上げる芸術的な作業。一期一会の心境で、一局一局を大事にしていきたいと思います」
穏やかに語るが、重みのある言葉。将棋への深い愛情がうかがえた。
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たにがわ・こうじ 昭和37年、神戸市生まれ。若松政和八段門下で昭和51年、14歳8カ月で四段となり、史上2人目の中学生プロ棋士に。58年、当時史上最年少の21歳2カ月で名人を獲得し、平成4年には、棋聖、竜王、王位、王将の四冠を達成。タイトル通算27期は歴代5位。令和4年5月、十七世名人を襲位した。相手玉を素早く寄せる終盤術は「光速流」と称される。平成24年12月から約4年間、日本将棋連盟会長を務めた。26年に紫綬褒章受章。
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