太平洋戦争末期の79年前、激しい空襲で大きな被害を受けた新潟市で慰霊と平和を祈る式典が行われました
【黙とう】
終戦間近の一九四五年8月10日新潟市は新潟港を中心にアメリカ軍の激しい空襲を受け47人が犠牲になりました。79年が経った10日、献花式が行われ市内の中学生などおよそ110人が出席しました。
【中原八一 新潟市長】
「新潟市民として本市の歴史を後世に伝え平和を守るためたゆまず努力をすることが責務だと考えている」
【出席した中学生】
「まずは世界の人々が原爆とか戦争のことを知ることが大切だと考えているのでそれを発信し続けていきたい」
参加者は慰霊碑に花を手向け平和への思いを新たにしました。
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