重箱の隅をつつくような研究はいけない-。思い返すと、学生時代に指導を仰いだ考古学の教授が時折、そんな話をされていた。

この本で千田氏は、戦前の奈良で唐古遺跡(現唐古・鍵遺跡)の発掘など先駆的な考古学調査を行った濱田青陵(耕作)氏に宛てて書簡風の一文を書いている。

「あなたが主宰されていた考古学教室の午後の雑談はおだやかな雰囲気にみちて、カフェ・アーケオロジーと呼ばれたそうです。(中略)よき時代のアカデミズムというべきでしょう」と昔日を想像し、「今日の大学では、国家の定めた大学間の競争原理が導入されてそのために締めつけられた研究者たちに、そのような余裕があるようには思われません」と現状への本音と苦言を呈している。

「日本近代考古学の父」とも称された濱田氏だが、千田氏の恩師も濱田氏にあこがれた学徒だったそうだ。千田氏は歴史地理学を専門にしながら古代史や考古学など分野にとらわれない幅広い研究を通して奈良の歴史に向き合ってこられた。この本には、岡倉天心や正岡子規、土門拳、アインシュタインら奈良を訪れ、ゆかりをもった多彩な著名人への思いを手紙に綴った文章41編がまとめられている。

私もまた短歌を詠む者として、ここで語られる會津八一や折口信夫らに関心をもってきた。千田氏はこれらの人々への思いを書きながら奈良に対する愛惜の念を感じたという。奈良は多くの文化人の心のよりどころだった。

この春から私は、冒頭の恩師の言葉を胸に、千田氏が書いたよき時代のアカデミズムにも思いを馳せながら、考古資料を担当する学芸員としての仕事に取り組んでいる。

大阪府八尾市 松村翔太(37)

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