遊歩道への再生計画が動き出した東京高速道路(KK線)。新たな銀座の名所にと期待されているが、実は未解決の問題を抱えている。高架下にある商業施設ともども、正式な住所がないのだ。なぜなのか。銀座の住所の物語を振り返ってみよう。

東京高速道路、遊歩道に再整備 キッチンカーの構想も

東京高速道路は新橋と有楽町、京橋をつなぐ約2キロの道路。首都高速道路と接続しており高速道路と名乗っているが、この区間は誰でも無料で走れる一般道路だ。

このKK線、このほど再生計画が策定され、遊歩道に再整備する方向で動き始めた。きっかけとなったのが、首都高日本橋区間の地下化だ。都心環状線のルート変更に伴い交通量が大きく減ることが予想され、道路としての役割を終えることになった。

2020年代の中ごろには自動車道を廃止し、遊歩道の完成は2030年から2040年代と見込まれている。遊歩道には植栽やベンチを置き、一部の場所ではキッチンカーなどで飲食や物販も想定しているという。

KK線が遊歩道に再生されると、こうした光景が日常的に見られるようになるかもしれない(2023年5月4日、高橋丈三郎撮影)

今回整備するのは道路部分だけで、高架下の商業施設はそのままだ。高架下には現在、銀座インズや銀座ナイン、銀座ファイブ、銀座コリドーなどがある。

今年の5月にはKK線を通行止めにして開放するイベント「銀座スカイウォーク(銀スカ)」が開かれた。高架上とあって眺望が良く、新幹線が間近に見られる場所もあった。KK線の未来を予感させるイベントだった。

ところで東京高速道路の通称はなぜ「KK線」なのか。同社によると「Kabushiki Kaisya」のKKだという。東京高速道路株式会社の路線、ということで「会社線」とも呼ばれている。

KK線からは、新幹線が間近に見られる場所がある(2023年5月4日)

銀座インズ、銀座ナインは住所未画定の「番外地」

このKK線、もともとは戦後、川を埋め立てて整備した。外濠(そとぼり)川や汐留川、京橋川だ。これらの川は銀座と有楽町、銀座と新橋を隔てる川だった。銀座は中央区、有楽町は千代田区、新橋は港区なので、それぞれの区の境界だったというわけだ。もともとは川の真ん中が境界線だったが、道路にしてその下を商業施設にした際、境界線をどこにするか決まらなかった。

かつて外濠川に架かっていた有楽橋。現在は交差点名としてその名が残っている(1956年ごろ、中央区立京橋図書館提供)

では、実際の店舗の住所はどうなっているのか。

銀座インズの場合、インズ1は「銀座西3-1先」となっている。インズ2は「銀座西2-2先」、インズ3は「銀座西1-2先」だ。では銀座ナインはというと、「銀座8-10先」だそうだ。いずれの場合も、最後に「先」がついている。これは住所がない「番外地」特有の表記でもある。

銀座には「1番」がない場所がある

ちなみに、銀座には「1丁目1番」がない。それだけではない。2、3、6、7、8丁目にも1番がないのだ。なぜか。中央区に聞いたところ、KK線のところの境界線が決まれば、そこを1番にする想定で2番から番号を割り振った、という。数寄屋橋交番がある4丁目と小学校がある5丁目だけは1番が振られているという。

それにしても住所がなくて困らないのだろうか。これも中央区に確認したところ、警察や消防は個別に相談して管轄を決めているので困っていないという。住んでいる人はいないので住民税は関係なく、固定資産税などは東京都の管轄で、特に問題はないのだそうだ。

では、今回のKK線再生に伴って解決の動きはないのか。東京都に聞いたところ、この問題について現時点では特に進展はない、との答えが返ってきた。これだけの大規模開発でも動きがないとなると、境界が画定する日は訪れるのだろうか……。

銀座インズは有楽町、銀座ナインは新橋を名乗っていた

銀座ファイブ、銀座インズなどKK線の高架下の施設はどこも「銀座」を名乗っている。だが歴史を遡ると、実は銀座ではない時代があった。

銀座インズが開業したのは1958年(昭和33年)。当時の名前は「有楽フードセンター」だった。1958年といえばフランク永井の「有楽町で逢(あ)いましょう」が大ヒットした年だ。当時の新聞広告では「有楽町0番地」とうたっていた。古い資料写真でも「御存知の有楽町○番地」と写っているのが見える。いうまでもなく、有楽町は千代田区だ。

銀座インズは「有楽フードセンター」として開業した。当時、「有楽町0番地」というキャッチフレーズで宣伝していた(中央区立京橋図書館提供)

ではいつ改名したかというと、1990年(平成2年)のことだ。「GINZA」の真ん中3文字を取って命名したという。当時の新聞には「銀座の中心的な場所に」と命名理由が書かれている。

一方、銀座ナインは1961年(昭和36年)に開業した。当初は「新橋センター」という名前だった。銀座ナインがある場所にはかつて、汐留川が流れていた。銀座ナイン2と3の間には、かつてここに架かっていた橋である「新橋」の親柱(おやばしら)が今も残っている。新橋といえば港区だ。

銀座ナインに改名したのは1985年(昭和60年)のこと。こちらは銀座に9丁目をつくる意気込みで、というのが命名の理由だった。銀座ファイブも当初は「数寄屋橋ショッピングセンター」として開業した。

東京高速道路の高架下にある銀座インズには、正式な住所がない

施設の名前の変遷を見ると、1980年代以降、銀座ブランドがより強固になり、「銀座エリア」が拡大していったのが透けて見える。今も銀座から少し離れた新富町や築地などで銀座と名が付く建物を見かけることがある。

銀座を歩くと外国人の姿が目に付く。銀座インズや銀座ナイン周辺にもインバウンド客は多かった。銀座ブランドは世界に広がっている。外国人にとっては、銀座が近ければ銀座と名乗ってくれた方が親切なのかもしれない。

(河尻定、塚本直樹、高橋丈三郎)

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