西武ホールディングスの後藤高志会長にとって忘れられない恩人だ。

20年近く前の2005年2月、東京・芝の中央三井信託銀行(現三井住友信託銀行)の本店。みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)副頭取から転じた西武鉄道は商法違反事件で上場廃止に追い込まれ極度の信用不安に見舞われていた。田辺氏はコアバンクの中央三井信託銀行社長。緊張感漂う交渉になってもおかしくない。

「後藤さんじゃないですか。お名前はよく存じ上げていますよ」。初対面にもかかわらずにこやかな笑顔で迎えてくれた。真剣に話を聞いた最後に一言。「私は本当に応援しますよ」。即断即決だった。

自身と重ね合わせたのかもしれない。1999年、東大卒業後入った名門、三井信託銀行は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた。中央信託銀行と合併できなければ窮地に追い込まれるのは必至。直接交渉し、数週間で難交渉をまとめた。

学生時代の親友、同志社大学名誉教授の篠原総一氏は「『なぜ?』を考え抜くタイプ。納得できなければウンと言わない」。逆に言えば、納得できれば世俗の風評など全く気にしない。

東大紛争の最中、経済学部自治会に入り、破壊一辺倒の学生運動に異を唱えた。全学集会開催に尽力し、町村信孝氏(元官房長官)や波多野琢磨氏(元アラブ首長国連邦大使)らと紛争解決に導いた。

東大経済学部岡野行秀ゼミで経済政策を学んでいた(前列左から篠原氏、田辺氏)

「見事に変わって生き延びてみようぜ」。大学時代の後輩でコンサルタントとして間近で付き合った安田隆二氏は部下の前で鼓舞する姿を覚えている。家族も「前を向くにはどうするかを考える人だった」。くどくど原因を追及したりしなかった。

心身をすり減らしたのだろう。激務の会長を降りた途端、「全身から力が抜けちゃったよ」と病に倒れた。苦しいリハビリだったはずなのに持ち前の明るさとユーモアは変わらず、「運動神経がいいことを知らないから参っちゃうよ」と家族に愚痴っていた。生まれ育った東京都目黒区で記録ホルダーになったほど、短距離走が得意だった。

「フェアウエーを歩かれた方」(後藤会長)。金融激動期という乱世だけでなく人生も俊足で駆け抜けてしまった。

=5月19日没、78歳

(NIKKEI Financial副編集長 玉木淳)

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