車の中から撮影した野生のトキ=佐渡市で2024年7月29日午前7時9分、中津川甫撮影
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 「日本最後のトキ餌付けの地」――。今春、こう刻まれた新潟県の佐渡南西部にある石碑を偶然見つけ、野生復帰を望んだ島民とトキの物語に改めて関心を持つようになった。佐渡市を再び訪れた7月下旬、トキの生態や歴史を学べる施設を巡った。【中津川甫】

 トキの森公園(同市新穂長畝)のトキ資料展示館には、石碑に登場する地元住民の宇治金太郎さん(1984年死去)と、一羽の迷いトキの幼鳥との出会いが紹介されている。

宇治金太郎さんがキンを餌付けした場所を記念した石碑=佐渡市田切須で2024年4月8日午前7時42分、中津川甫撮影
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 それによると、67年、真野地区に来たこのトキは評判となり、宇治さんが世話係として餌付けを試みると、人を警戒するトキは宇治さんにだけ心を開いた。その年の冬は大雪でトキが死ぬ恐れがあったため、地元の教育委員会が捕獲して保護することに。しかし捕獲班は失敗を繰り返し、最後は宇治さんの手に委ねられた。

 宇治さんは「こんなに慣れて、俺を信じているトキをどうして捕まえることができる」と苦しみ、子供のような存在のトキをなかなか捕獲できずにいた。石碑にも「野生のままがいいのかもしれない」と葛藤していたことが書かれている。

 だが68年3月、いつものように近づいてきたトキを、宇治さんは優しく抱きかかえるように捕まえた。同館の展示によると、トキは抵抗せず、小さな声で「クワー」と鳴いたという。宇治さんは自らの手で野生のトキの自由を奪ったことに、「自分は世界一の裏切り者ですっちゃ……」と終生悔やんでいたことも記されていた。

かつてトキが生息していた土地。佐渡と中国の洋県は2800キロ以上離れている=佐渡市新穂長畝のトキの森公園で2024年7月28日午後0時8分、中津川甫撮影
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 捕獲されたトキは宇治さんの名前から「キン」(2003年に死ぬ)と命名され、野生で生まれた日本産最後のトキになった。同館の一角にはキンの剥製があり、そばには宇治さんとキンが触れ合う写真も展示されている。

 81年には佐渡に残った野生のトキ5羽全てが捕獲され、日本の野生トキは姿を消した。一方でこの年、64年に甘粛(かんしゅく)省の康(こう)県で観察されたのを最後にトキが絶滅したと考えられた中国で、トキが新たに発見された。場所は佐渡から2800キロ以上離れた陝西(せんせい)省漢中市洋(よう)県で、漢中は日本でも人気の三国志の英雄・劉備や諸葛亮のゆかりの地として知られる。

 日本では関係者が尽力するも日本産トキの子孫を残せなかったが、中国政府により洋県から99年に贈られた2羽のトキ(洋県との友好にちなみ「洋洋(ヤンヤン)」と「友友(ヨウヨウ)」と命名)から人工繁殖に成功。08年には放鳥で27年ぶりにトキが佐渡の大空を舞い、冒頭の石碑にはトキの野生復帰を願った「宇治金太郎さんの夢も叶(かな)えられました」と刻まれている。

 トキはかつてロシアや朝鮮半島、台湾にも生息。日本でも江戸期には函館から沖縄まで生息し、珍しい鳥ではなかったという。しかし乱獲と生息環境の悪化で東アジア一帯で数を減らし、20世紀後半には日本と中国を除き絶滅したとされる。同館によると、日本では「田んぼを荒らす害鳥」と考えられたほか、肉は産後の肥立ちが悪い母親や冷え性に効くと言われ、闇鍋の食材や薬として食べられたという。

 環境省によると、佐渡島の野生のトキは昨年末時点で532羽と推計され、全て洋洋と友友の子孫だ。当然だが餌付けはしないように呼び掛けられている。記者は7月下旬、佐渡の田畑で餌を食べる野生のトキを偶然見つけた。

 同省が発行する「トキのみかた」の観察ルールに従い、トキを怖がらせないよう車の中でカメラ撮影を試みたところ、続々と飛来して最大13羽のトキが集まった。気ままに空へ羽ばたくトキは、カメラの焦点を合わせるのが難しいほど素早かった。野生のまま自由に生きてほしいという宇治さんの願いを想起し、個体数が増えていることを実感するうれしい出会いだった。

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