筆者にとって不妊の当事者であることはアイデンティティーの核だった VICKI MEYOUHAS
<体外受精の際にカップルは、余った受精卵をどうするか? 不妊に悩む人々に提供したいと思ったけれど、同じ苦しみを知る私にもそのハードルは高かった>
結婚して2年と少しがたった2014年、私と夫は早く子供が欲しいと思っていた。
だが、妊娠するのは思っていたほど容易ではなかった。約1年後に私は多囊胞性(たのうほうせい)卵巣症候群と診断され、それから2年間は、人工授精で妊娠しても流産するばかりだった。
そんなある日、クリニックから電話がかかってきた。当時住んでいたカナダ・オンタリオ州の公費で体外受精が受けられる順番がもうすぐ回ってくるというのだ。
体外受精はうまくいき、私たちは4個の凍結受精卵を手にした。ところがその次の月に、私は「自然」妊娠。その後、2人目も自然妊娠した。
体外受精の際にカップルは、余った受精卵をどうするかについての書類に署名する。選択肢は廃棄、研究機関への提供、他の不妊カップルへの提供のいずれかだ。私たちはあまり深く考えもせず、他のカップルへの提供を希望した。
そのまま5年が過ぎた。私は提供先を決める参考にしようと、フェイスブックで受精卵のドナーや提供を受ける側の人々のグループに参加した。
また私は、精子や卵子の提供によって生まれた人々のグループにも参加した。彼らの体験談から、受精卵を提供するなら匿名ではなく、互いに身元を明らかにして行うべきだという結論に私は達した。
提供希望者のグループに、余剰の受精卵が4つあると投稿すると、提供を受けたいという返信が約100件も届いた。そこで私は、自分の中にそれまで意識したことのないかたくなさや偏見があることに気付かされた。
シングルマザーとして子供を育てたいという希望者は、家が近すぎる(といっても車で半日かかる距離だ)のが気になった。もし、生物学上の子供とショッピングモールで出くわしたらどうしよう......?
イスラム教徒の夫婦に対しては、ユダヤ系の私たちの子供をイスラム教徒の家で育てることに引っかかりを覚えた。提供を希望する人々は、カナダ社会のありようを反映してとても多様だった。民族も教育水準も年代も、経済力もさまざまで、同性愛者もいれば異性愛者もいた。
人生がかかった決断に
提供先選びは人生を左右する、非常に重い決断だった。何より、双方の家族がハッピーでいるためには、互いにいい距離で付き合えるよう、常に相当な気遣いが必要になる。単なる「遺伝子学上のドナー」であってはならないし、同時にあちらの親の役割や立場を侵害してもいけないのだ。
2年近くがたって、ようやく私は決断を下した。きっかけは、高校時代からの友人夫婦の娘が、7歳の誕生日を迎えたことだった。
家族ぐるみで深い付き合いをしているにもかかわらず、プレゼントを買うのが間に合わなかった上、誕生日にテレビ通話でお祝いを言うこともできなかった。その子も家族も傷つけてしまった。
そこで私は悟った。受精卵を提供すれば、提供先の家族との、一筋縄ではいかない人間関係を維持するという責任が一生、付いて回るということを。それは私の手に余る。
さんざん悩んだ末、私は研究機関への提供を選んだ。
不妊と流産の当事者であることは、私にとって長年、自分のアイデンティティーの核だった。だが受精卵を研究機関に提供することで、人生の一つの章に区切りをつけることができたように思う。
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