猛暑の中、池で泳いだ14歳の少年。学校の遠足でプールに入った13歳の少女。自宅近くの川で水浴びをした5歳の少女。インド南部ケララ州の異なる地域に住んでいた3人の子どもたちは「原発性アメーバ性髄膜脳炎(PAM)」で死亡した。温かい淡水や管理の不十分なプールに生息する微生物が引き起こす脳の感染症だ。また、27歳の男性も命を落としている。
「この3カ月間で、ケララ州では15件のPAMが報告されています。これまでは年に1件程度でしたから、大幅な増加です」と、ケララ州政府医科大学の感染症部門長アラビンド・レグクマール氏は述べている。
PAMは珍しい病気だが、世界各地で発生している極めて有害な感染症だ。その原因であるフォーラーネグレリア(Naegleria fowleri)は、脳に感染して脳細胞を破壊することから、「脳食いアメーバ」とも呼ばれている。
これまでに少なくとも39カ国での感染が報告されており、PAMが確認される件数は毎年平均4.5%ずつ増加している(編注:日本では1996年に1例が報告されている)。
パキスタンだけでも死者は毎年20人にのぼり、2024年に入ってからは、これまでにインド、パキスタン、イスラエルでの感染が報告されている。また、オーストラリア南西部にある人気の淡水遊泳場や、米グランドティトン国立公園の温泉でもフォーラーネグレリアが検出されている。
米疾病対策センター(CDC)によると、世界の感染例の大半(85%)が、暖かいか暑い時期に報告されている。気温や気候の変化によって、世界各地でのPAMの発生率がさらに上がる可能性を示唆する研究もある。
2023年5月に医学誌「Ohio Journal of Public Health(OJPH)」に発表された研究によれば、米国北部でPAMが増えていることがわかっている。「フォーラーネグレリアは気候変動によって北方へ拡大しており、これまでPAMが確認されていなかった新しい地域でヒトの健康に対する脅威を増大させている」と同論文には記されている。
米カリフォルニア大学リバーサイド校で化学・環境工学の助教を務めるユン・シェン氏は、PAMが「世界的な医療上の脅威となる可能性」を指摘する。氏によると、気温が上がるとフォーラーネグレリアの生存と成長が促される可能性に加えて、暑くなれば水を使うレクリエーション活動を楽しむ人が増え、フォーラーネグレリアにさらされるリスクも増加すると考えられるという。
「気候変動によって、このアメーバの生息域が拡大する可能性があります。これまでは寒すぎると考えられていた地域でも、以前より温かくなった淡水域で生き延びることができるのです」とシェン氏は言う。
脳食いアメーバはどこにいるのか
フォーラーネグレリアは、未処理の温かい淡水や、土壌、土ぼこりの中に生息していると、米マウント・ユニオン大学看護学部の臨床准教授で、「OJPH」に掲載された論文の著者であるカレン・タウン氏は言う。
氏によると、PAM感染はこれまでのところ、主に淡水の湖や池、温泉、貯水池で泳いだり、体に水をかけたり、顔を水に浸したりした場合に発生しているという。
一方、そこまで多くない感染経路としては、ホースの中でぬるくなった水、一般家庭向けのウオータースライダー型遊具、水遊びができる噴水やじゃぶじゃぶ池、個人の井戸から引いた水などが挙げられる。
「患者の大半は、未処理の淡水と最近接触した健康な子どもや若い成人であり、女性よりも男性に多く見られます」とタウン氏は言う。
フォーラーネグレリアは汚染された水を介して鼻に入り、鼻粘膜を通過し、嗅神経をたどって脳に到達すると、そこで平均5日間潜伏するという。
「PAMは突然の激しい前頭部の痛み、発熱、吐き気、嘔吐から始まり、さらに悪化すると首のこわばり、精神状態の変化、幻覚、昏睡へと進み、やがて死に至ります」と、米カンザス大学看護学部の研究担当副学部長で、タウン氏の論文の共著者であるバーバラ・ポリブカ氏は説明する。
体内に侵入したフォーラーネグレリアは、脳細胞を食べたり、細胞を傷つける有害物質を分泌したりといった、さまざまなメカニズムを通して人間の脳に「有害な影響」を及ぼすと、米アラバマ大学の微生物学者リア・スタール氏は言う。「脳内にフォーラーネグレリアが存在すると、直接的なダメージを受けるだけでなく、免疫反応が起こる結果として脳が腫れ、死に至る場合もあります」
診断も治療も難しい
CDCによると、PAMは致死率が高く、患者の97%以上が感染によって死亡している。米国の場合、1962〜2021年に感染した154人のうち、生存者はわずか4人だ。
その理由は、PAMを見つけるのが非常に難しいことにある。通常、フォーラーネグレリアが検出されるのは患者が死亡した後だ。レグクマール氏によると、「インドではPAMと診断される患者は30%程度」に過ぎず、あとの70%は見逃されるという。
2020年に医学誌「Clinical Infectious Diseases」に発表された研究では、PAMに対する監視システムや検査が整備されていない国では、見逃される症例がより多いかもしれないと指摘している。
PAMのもうひとつの重大な課題は誤診だと、スタール氏は言う。これは、PAMの症状がインフルエンザや細菌性髄膜炎といったほかの病気とよく似ているためだ。「PAMは比較的まれな病気であり、初期段階で検討される可能性が低いせいで、診断が遅れることがあるのです」
PAMは報告数が少なく、臨床医の間でもあまり知られていないと、スペイン、ラ・ラグーナ大学カナリア諸島熱帯病・公衆衛生研究所のハコブ・ロレンソ・モラレス氏は言う。
「私は低所得国でも母国でもPAMの患者に関わった経験がありますが、ミルテホシン(PAMに対する「奇跡の薬」として知られる)を治療に間に合うタイミングで入手するのはほぼ不可能と言っていいほど難しいのです。ときには投与量を制限して、追加の薬が到着するのを待たなければなりませんでした。この状況は大いに憂慮すべきものです」
ロレンソ・モラレス氏は、2019年に学術誌「Trends in Parasitology」に発表したフォーラーネグレリアについての論評で、PAMが世界的に増加していることを指摘し、気候変動によってこの脳食いアメーバの「量と範囲」が増大している可能性が高いと示唆している。
気候変動とPAM
ナショナル ジオグラフィックは8人の研究者に話を聞いたが、その全員が、気候変動がフォーラーネグレリアとPAMの拡大に拍車をかけているという意見に同意している。英ロンドン大学衛生熱帯医学大学院で感染症を研究するジミー・ウィットワース氏は、報告された症例が示すフォーラーネグレリアのいる場所は、ここ数年で北上していると述べている。
ロレンソ・モラレス氏によると、フォーラーネグレリアが繁殖しやすいのは、水温約30〜46℃の水環境だという。干ばつと豪雨が重なった場合にも、このアメーバにとって理想的な温水環境が生まれる。
「以前は熱帯性と考えられていた病気が、寒冷な地域や国に移動しています」と氏は言う。
2023年に学術誌「Frontiers in Public Health」に発表されたパキスタンの研究では、熱波の激化がフォーラーネグレリアに適した温度を生み出し、「すでに同国にとって大きくなりつつある問題となっている」と指摘している。パキスタンは近年、PAMの集団発生に何度か見舞われており、予防的な対策をとる必要性が増している。
致死率の高さを踏まえれば、PAMへの対応を臨床と公衆衛生で優先すべきだと専門家らは考えている。すばやく診断できるように、医療従事者はPAMをはじめとする気候に関連する病気についての教育を受けるべきだと、タウン氏は言う。
PAMが今後増えることを想定して、子どもは頭部を水に浸けることを避け、泳ぐときにはノーズクリップを使ってほしいと、米アリゾナ大学の微生物学者チャールズ・ガーバ氏は助言する。「また、水道水の質が低いところでは、水を鼻に入れたり、鼻うがいに使ったりするのを避けてください」と氏は言う。
診断も治療も難しいのは確かだが、インドで最近急増したPAMでは、一筋の希望も見いだされた。
レグクマール氏によると、7月にPAMの症状で病院を訪れた27歳の男性は、ケララ州ティルバナンタプラム市内にある、苔のように緑色になった池に触れたという。男性は過去に脳の手術を受けた経験があったため、フォーラーネグレリアに汚染された水に触れたことによる感染と死亡のリスクが高かった。
男性は7月23日に亡くなったが、病院の医師らは、男性の住んでいた地域でPAMに感染している患者の有無をチェックした。その結果、6人の患者が見つかり、早期に治療を始めることができた。
「現在は、全員が快方に向かっています」とレグクマール氏は言う。「これは、致死率は高くとも、PAMには治療の可能性があるということを示しています。早期の診断と治療が、患者に生き延びるチャンスを与えるのです」
文=Puja Changoiwala/訳=北村京子 (ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年9月5日公開)
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。