畑で草取りをしているとサイレンが鳴って11時半を知らせている。数秒遅れて隣の村、その村の名はなくなっても、村のあった知らせのようにかすかな音が続く。住宅進出と過疎が隣り合い、耕作放棄地が広がれば、野良で働きサイレンの音を聞く人はどれほどいるだろう。

音の性質では用のないものには音はあっても聞こえない、あるいは煩(うるさ)ければ騒音の一つぐらいに聞く人の方が多いだろう。それでも、お昼だとサイレンは告げている。音の聞こえ方は聞くものの状態によってだいぶ違う。お腹の空き具合、腹時計と一致すればお腹に響くように良く聞こえる。農繁期なら仕事の進み具合を計って安堵したり、ため息をついたり。

音とともに野原には土の匂いがあった。多くの人たちが耕作に励んでいたときがあってのサイレンだった。聞く人の少なさ、サイレンも往時の勢いがなくなったようにちょっと寂しく聞こえる。

人は近代の瀟洒(しょうしゃ)な家に住んで土に触れることがなくとも、日曜ごとに自然とのつながりを求めて野原に出かけたりする。この地区も昔は村であった。サイレンの音がなくならないのは野への繋がり、人が体を使って懸命に働いていた頃への郷愁かもしれない。

丹治計二(80) 福島市

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