奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末~8世紀初め、直径23メートル)の国宝・飛鳥美人壁画などの人物像のうち、西壁に描かれた男子像が持つ杖(つえ)のような道具について、馬上球技「ポロ」で使われる「マレット」との見解を県立橿原考古学研究所の中村健太郎主任企画員が打ち出した。ポロは、中央アジア・ウズベキスタン一帯を拠点にしたソグド人が交易を通じて中国・唐へもたらし日本に伝わったとされ、シルクロードを通じた壮大な交流を示す説として注目される。
高松塚壁画は昭和47年に橿考研や関西大学の調査で発見。石室の東西の壁には計16人の男女像などが描かれ、西壁の男子像が手に持つものは杖と考られていた。
だが中村さんは、令和4年の壁画発見50年を機に、持ち物の先端がL字形になっている点に着目した。高松塚壁画に影響を及ぼしたとされる唐の壁画では、馬上でポロに興じる男性が持つマレットはL字形に描かれ、杖は先端がT字かU字形でいずれも女性が持っていた。中村さんは「唐では持ち物の種類を先端の形状で明確に描き分けている。L字形の男子像の持ち物はマレットと考えられる」と結論づけた。
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中国の文献では、唐の皇帝・太宗の時代(在位626~649年)に西蕃(せいばん)人が都・長安(現在の西安)でポロを表す「打毬(だきゅう)」を行ったと記録されている。西蕃人はソグド人とされ、シルクロードのオアシス都市を経由して唐と交易を行い、ポロも伝えたとみる。
日本でポロは、現在も打毬として宮内庁で受け継がれ、平成27年5月に当時の天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后さま)の傘寿を記念して披露されたことでも知られる。
奈良時代には宮廷貴族らが興じており、万葉集では神亀4(727)年に「王子や諸臣が打毬之楽に興じた」と記述。平城宮跡(奈良市)では打毬用の木の玉が発掘で見つかっており、中村さんは「奈良時代前夜ともいえる高松塚古墳の時期に、ポロが遣唐使を通じて唐から伝わっても矛盾はない」とする。
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飛鳥美人を含めた女子像などは宮廷儀礼に向かう従者との説が有力だが、「西壁の男子像については被葬者がポロなどに行く際の従者を描いたのではないか。高松塚壁画は中国や朝鮮半島を中心に研究されてきたが、ユーラシア大陸全体で考えることも必要」と指摘。西壁男子像の持ち物についてはこれまでもマレットではないかとの説は出ていたが、文献や壁画資料をもとにした詳細な調査で裏付け、学術専門誌に発表する予定という。
極彩色の人物壁画などが描かれた高松塚古墳は昭和47年の発見以来、壁画の意味や被葬者について論争が活発に繰り広げられながら、50年以上を経ても結論は出ていない。(小畑三秋)
ポロ 馬に乗った競技者がマレットでボールを打ち合って相手ゴールに入れて得点を競う。紀元前後にペルシャ(現代のイラン一帯)で発祥したともいわれ、シルクロードを経て中央アジアや中国に伝来した。日本には「打毬」として中国から伝わり、奈良・平安時代には端午の節会に宮中行事として行われた。現在も宮内庁主馬(しゅめ)班が江戸時代の様式で受け継ぎ、同庁ホームページで解説している。
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