能登地方の5カ所を継続取材して、そこに生きる人々の心の動きを追うシリーズ企画「ストーリーズ」
今回は地震をきっかけに住民の数が激減し、9月の豪雨でも被災して2カ月以上断水が続く珠洲市大谷町の2回目。児童生徒がたった5人になった小中学校を見つめる。

珠洲市立大谷小中学校
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復興への道半ばで再び町を災害が襲う

珠洲市の大谷小中学校。いつのまにか避難所に住み着いた子猫をそっと抱き上げて玄関に連れていく児童がいた。「あーごめんね。出て行ってもらえますか。」
川端晃史(かわばたこうじ)さん、小学6年生。両親ときょうだいと共に大谷町で暮らしている。

猫を校舎の外にだす川端晃史さん

能登半島地震で大きな被害を受けたこの町。珠洲市中心部がある内浦と比べて大谷町がある外浦は復旧が遅れ、晃史さんたち川端家は8月まで避難所で暮らしていた。

ようやく断水が解消され始め、川端家が自宅での生活を再開させた9月。町をまた災害が襲った。奥能登豪雨だ。町は再びほぼ全域で断水。完成間近だった仮設住宅も被災し、入居は延期になった。

豪雨から9日後に大谷小中学校で開かれた住民説明会で、珠洲市の泉谷市長はこう切り出した。「大谷地区最も過酷な状況であるという認識でおります。」

9月22日 豪雨翌日の大谷町

地区の大部分に水を供給していた大谷浄水場は浸水し、貯水池は土砂で埋まった。「とにかく何とか早く復旧してほしい」口々に訴える住民に対し、断水の解消には2カ月かかることが伝えられた。豪雨の後、住民の数は更に減り、地震前の3割以下になった。

地区の子どもたちは大半が町の外へ

断水が続く中、大谷小中学校は他地区から給食を運んでもらうなどして授業を続けていた。昼休み、晃史さんは黙々とパソコンを使って避難所の人たちにとったアンケートを集計していた。
遊びたいってならない?そう聞くと「人いたらそこらへんで遊びたい、人いたらですけど」と晃史さんは答えた。

小学生は2人、中学生は3人に減った
中学生は1学年1人ずつ 授業は先生とマンツーマン

小中一貫の大谷小中学校では23人が学んでいたが、地震をきっかけに多くの子どもたちが転校した。今いるのは小学生2人と中学生3人の合わせて5人だけ。そのうち3人は川端家だ。

「仮設住宅が出来ても子供が戻ってくる見込みは今のところない」こう話すのは晃史さんの父、孝さん。
孝さんは市議会議員で避難所の本部長。元日から地区のために奔走してきた孝さんにはある後悔があった。「子育て世帯には仮設住宅に優先的に入居できるようにするなど、もっと手厚い支援をすべきだった。一番大事なこれからを担ってもらう方々を出してしまったのは大失敗だった」

避難所の本部長を務める父孝さん(奥)

川端家は大谷町を離れるつもりはないという。

晃史さん:
「2023年にも地震が来たし今年も来たし、ちょっと不安ではあるけど大丈夫かなって。ここにはい続けたい。」
Q一番何が好き?
「やっぱり人が少ないし、地域の人が優しいっていうのが。友達とかもちょっとでいいかなって思っているから」

母、美絵さん:
「大人がもっと友達のいるところに引っ越してあげようとかそういう働きかけは私はいらないと思っているんですよね。置かれた状況で自分らでいいように考えて、なんかしたいことがあったら言ってもらえたら、してやろうとは思っている」

体育館は3分の2が避難所に

運動会 今年は児童生徒以外の”選手”がいっぱい!?

豪雨から1カ月後。選手5人だけの運動会が開かれた。来賓の教育長に声をかけているのは晃史さんの兄、駿介さん(9年生)。「この競技一緒にやってもらっていいですか?」2人1組の障害物競走への出場を呼びかけていた。

教育長、区長、祖父母、学校の用務員…すべての競技に色んな人が参加する。今年は紅組、白組に分かれることができないため、子どもたちと先生の発案で地域を巻き込むことにした。

教育長・区長チームVS駿介さん・生徒の祖父チーム

川端駿介さん:
「若い僕たちがよりこの地域を盛り上げていくっていう心意気がないとダメかなと思いました。」
地域の人:
「私たちにとってはアイドルなんです。みんなにかまってきてくれるし、すごい優しい子たちです。」

”選手”として出場した男性も楽しそうだ。今は大谷小中学校の中に避難所も消防分署もあり、地域の拠点になっている。地震をきっかけに地域と学校の距離は縮まっていた。

地域の人たちにとって5人はアイドルだという

深まる地域との繋がり…5人が考え始めた「自分たちにできること」

5人は大谷町のために自分たちができることを考えるようになっていた。

この日5人が向かったのは珠洲市の中心部にある道の駅すずなり。自分たちで考えた復興プロジェクトをスタートさせるためだ。

「大谷ガチャ」を販売する晃史さん

晃史さんが運んできたのは「大谷ガチャ」と名付けたカプセルトイ。1回500円で回してもらい、売り上げを珠洲市と大谷地区に寄付するというものだ。カプセルに入っているのは揚げ浜式の塩やシーグラスで作ったマグネットなど。大谷町のことを忘れないでいてほしいという思いを込めた。
「やっぱりまだ珠洲にいたいなって思ってもらえたり、珠洲好きだなって改めて思ってほしいなって」晃史さんはこう話した。

子どもたち発案の「大谷ガチャ」

11月9日。大谷小中学校で開かれた文化祭。子どもたちが地域の人たちに向かって大谷ガチャの成果を説明した。

川端駿介さん(9年生):
「初日に準備した70個は1時間半で完売しました。」
水上しゅりさん(7年生):
「残りもすべて販売し、珠洲市や大谷地区の復興のために寄付をする予定です」
川端晃史さん(6年生):
「地震があったからできないといって何もしなければ、みんなが戻って来たいと思えるような町ではなくなってしまうのではないかと私たちは考えます。これからも大谷の良さや伝統を繋げていきたいと思います。」

学校の壁に張られた5人の目標

5人の姿に刺激を受ける大人たち

今年の文化祭は運動会同様、地域参加型。孝さんたちPTAはバンド演奏を行った。

『さみしさ押し込めて強い自分を守っていこう カントリーロード この道ずっと行けば あの町に続いてる気がする カントリーロード』

いつしか地域の大人たちも合唱に加わる。そして子どもたちも。文化祭には金沢などに転校した同級生たちも駆けつけ、最後は会場全体での大合唱となった。

「カントリーロード」の大合唱
5人にメッセージをおくる川端孝さん

「この子どもたちのためにへこたれとるわけにいかんなと。あなた方の未来を何とかね、切り開いていけるように頑張ろうという気にさせていただきました。」文化祭の最後、孝さんは5人にこう返した。

校舎の外にはおよそ1カ月半ぶりに再開された公費解体の重機の音が響いていた。

(石川テレビ)

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