ヲキフ100の車掌室内に設けられた手ブレーキ=埼玉県熊谷市で2024年4月16日、渡部直樹撮影

 車掌室付きの貨車が、今も現役で走っています。太平洋セメント所有の鉱石運搬用ホッパ車「ヲキフ100」です。埼玉県秩父市の鉱業所などと熊谷市のセメント工場を結ぶ貨物列車に連結されています。

 車掌室は、幅が1メートルほどのコンパクトな部屋。今、どう使われているのでしょうか。同市にある秩父鉄道の車両区にお邪魔して、その秘密を探ってきました。

ヲキフ100の車掌室内部=埼玉県熊谷市で2024年4月16日、渡部直樹撮影(写真は動画から)

 最初に製造されたのは1956年1月です。当初は実際に車掌が乗り、後方から安全を監視、運転士に発車合図を出すなど、業務にあたっていました。しかし、電気機関車がATS(自動列車停止装置)やEB装置(緊急列車停止装置)などの保安機器を搭載したことで、貨物列車はワンマン運転できるようになりました。

 88年を最後に、ヲキフ100に車掌が乗ることはなくなりました。87年に2両、98年に22両が廃車されましたが、現在でも13両が残っています。室内を見せてもらいました。

ヲキフ100の車掌弁。引くとブレーキ管内部の圧縮空気が一気に排出され、列車を止めることができる=埼玉県熊谷市で2024年4月16日、渡部直樹撮影

 車内には赤い引き手の付いたひもが下がっています。これは車掌弁といい、引くと列車全体に引き通されたブレーキ管内部の圧縮空気が一気に排出され、列車を止めることができます。

上から見たヲキフ100。漏斗のような形をしている。底が開閉式になっていて積み荷を簡単に降ろすことができる=埼玉県熊谷市で2024年4月16日、渡部直樹撮影

 秩父鉄道の貨物列車の一部は、秩父太平洋セメントの三輪鉱業所(秩父市)で石灰石を積みます。それから影森駅に向かって最大20パーミルの急な坂を下ります。1両あたり最大35トンを積んだ貨車が20両も連なっているので、運転には慎重さが求められます。不測の事態に備え、「操車」と呼ばれる担当者が車掌室に乗り込み、いつでも車掌弁を引けるようにしているのです。

ヲキフ100の軸箱内部=埼玉県熊谷市で2024年4月16日、渡部直樹撮影

 もう一つの積み込み場所である武州原谷駅(同市)では、機関車が貨車を後ろから押す「推進運転」の際、操車が車掌室から前方監視や運転士への合図をすることがあります。

 こうした理由のため熊谷市から見て1両が秩父市側の端になるように連結されているのです。貨物列車は基本的に車掌室がないタイプのヲキ100を18両、ヲキフ100を2両連結して走ります。検査などでヲキフが少ない場合はヲキ19両、ヲキフ1両で運行されることもあります。

ヲキフ100の車掌室外側の手すり=埼玉県熊谷市で2024年4月16日、渡部直樹撮影

 もう一つ気になるのは「ヲキフ」という記号です。秩父鉄道によればキは荷重(25トン以上)を、フは緩急車であることを示しているといいます。これは、国鉄が用いていた貨車の記号と同じです。では「ヲ」はなんでしょうか。

 国立国会図書館デジタルコレクションで、32年出版の「鉄道貨物運送の指針」(交通展望社)という本を見つけました。著者は鉄道省事務官の山口外二。それには鉄道省所定の名称や記号とは種類が異なるものとして、「鉱石車(ヲ)、鉱石緩急車(ヲフ)」と書かれていました。また、ヲは、「コヲセキの『ヲ』を採ったもの」とも紹介されています。ヲキフ100の記号もこれに沿ったものかもしれません。

 令和に残る魅惑の車掌室付き貨車「ヲキフ100」。今日も列車の安全を守り続けています。【写真・文 渡部直樹】

波久礼駅付近を走行するヲキフ100。手前の窓のある部分が車掌室=埼玉県で2024年4月16日、渡部直樹撮影

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