『太陽帆船』

中村森さんの第1歌集『太陽帆船』(KADOKAWA・1870円)に強く惹かれた。あっけらかんとしたタイトルもいいし、爽やかな装丁も素晴らしい。中村さんについて明らかにされているプロフィルは、島生まれ、東京育ちということのみ。中村さんが実際に何歳であるかは分からないが、若さの特権を存分に生かした、肯定感に満ちたまばゆい作品が並ぶ。

《帆を揚げる 会いたい人に会いに行くそれはほとんど生きる決意だ》

現時点で中村さんの代表作というべき歌だ。きらきらした光の粒子が降り注ぐようだ。ヴァトーの絵画「シテール島の巡礼」に着想を得てドビュッシーが作曲した「喜びの島」が脳内に響き始める。

爽やかなエロチシズムが感じられる次の歌も素晴らしい。

《「内緒だよ、心臓の音聴かせてあげる」あなたがずっと神様でした。》

恋愛はピュアであるべきだろうが、それだけではなかなか成就しないのが世の習い。ちょっと斜に構えてこう歌う。

《愛よりも反射神経だけがいい恋もあったと今なら思う》

極論を言うなら、若者の仕事の半分は恋をすることだ。中村さんの作品は、ベタな表現で恐縮してしまうが、恋する若者への応援歌となっている。

別れを題材に取った作品は一層味わい深い。

《来世では、もう出会わない気がしてる「さようなら」って言えてよかった》

《百年後、朝の海辺で待ってます。この約束を愛と言いたい》

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お次は、野木京子さんの第6詩集『廃屋の月』(書肆子午線・2420円)。野木さんは昭和32年、熊本県生まれ。平成19年に『ヒムル、割れた野原』でH氏賞を受賞している。

『廃屋の月』

32編を収め、その多くは死者と生者が交錯し、幻想と現実が混淆した作品だ。魔術的リアリズムとでもいえる手法によって、本来重層的であるこの世界の「リアル」を表現しようとする。冒頭に置かれた「汽水域」はこう始まる。

《母の舟が時間の川霧を押し分けて現れた/空(うつ)ろな刳舟(くりぶね)のようだったが まっすぐ流れてきたので/その日から わたしは死んだ母の舟に乗って生きている》

人は死者と幻想に向き合うことで初めて、本当の生を生きることができるのだ。本書のタイトルになった「廃屋の月」は、夢に基づいた作品だ。夢の中で詩を書くことの意味を問われた野木さんは、最初は「生きること」と答えようとするが、「知らない廃庭か廃屋に入っていくこと」であると考え直す。

そうして、廃屋になった秀子さんという女将が営んでいた居酒屋の裏庭に足を運ぶ。そこに打ち捨てられた古い井戸を目にした野木さんは、人目につかぬ新月の夜に、井戸に落ちたものを拾い上げたいと願う。本物の詩人とは、そういうものかもしれない。作品はこう着地する。

《井戸の深さがどれほどなのかも知らないけれど/水面に落ち込んだかつての月明かりの断片なども/秀子さんが昔飼っていた犬の鳴き声なども/そこに沈んでいるような気がする》

連ねられた言葉は粒立ちがよく、素晴らしい音色で歌う。(桑原聡)

=次回は5月12日掲載予定

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