昭和56年ごろ

《歌手デビューした昭和55年に続き、翌年も新曲を次々とリリース。さらなる脚光を浴びた》


仕事は朝8時過ぎから、深夜の0時過ぎまで続くんですよ。もうお金の感覚なんてなかった。それよりまず、仕事をやっつける、こなすという感覚。

取材に始まり、ドラマや映画の撮影、レコーディング…。一日の最後は深夜のラジオ出演です。疲労でくたくたになったアイドルたちが集まりましたね。

みんなはラジオの仕事が終わると、「お疲れ~」と言って、午前1、2時ごろ帰っていく。〝くたくたのアイドル〟たちの姿は見せられませんよ。女性たちもみんな、くたくた。マネジャーも、です。でも外に出ると、100~200人のファンが待ち受けている…(笑)。翌朝に起きるというのは、慣れ以外の何ものでもない。今だと、6時間寝たら勝手に目が覚めますけど。


《アイドルとして稼げるようになると、高級車ポルシェを購入したいとの考えが頭をもたげてきた。しかし、それより大事なことがあった》


僕が小学校1年生のとき、37歳で他界したおやじの墓石を建てることです。それをやらないと、人として、男として、まずい。調子をこくのはまだ早く、順番を間違えてはいけない、と思ったんです。自分の気持ちのなかにずっとあった「父への恩返し」を実行したわけです。

おやじのお墓は当時、(父方の実家である)山梨県韮崎市にありました。といっても、恐竜の巨大な卵みたいな石が無造作に置かれているだけ。その下に遺骨がある、みたいな。卒塔婆もありました。

通常、お墓といえば、長方形のどっしりとした墓石を誰しも想像すると思うんです。僕は小学生のとき、石ころの下におやじが眠っているんだと思ったら、急に悲しくなった。周りを見れば、御影石の立派なお墓ばかりなのに、おやじのお墓だけがみすぼらしい。

子供心に感じた悔しい思いから、おやじにも御影石のお墓でゆっくり眠ってほしい、そしておふくろの家のそばに持っていきたい、と思ったんです。おやじのお墓は歌手デビュー2年目の56年10月、甲府に住んでいたおふくろの家の裏山に完成しました。


《長年の夢をかなえ、今度はいつでもお墓参りに行けるように、と運転免許の取得にも挑戦。ただ自動車教習所に絶頂期のアイドルが通えば、大混乱に陥るのは必至…》


朝の仕事の前に、都内の教習所に一番で通いました。今じゃ、考えられない個人授業です。普通に通ったら、大騒ぎになるんでね。「田原くんだけはここで教習。学科はここで」などと。テストはみんなと一緒に受けましたが。

すべてストレートで受かったので、免許取得まで1カ月半もかからなかったと思います。トン、トン、トーンと。仕事のようにこなしたからね。落ちることは絶対できないし。

これでやっと、甲府に自由に行けるようになり、墓参りは最初、会社の車で行きました。赤いブルーバードです。中央高速道路を飛ばして行きましたね。


《念願のポルシェを購入し、以降は現在に至るまで毎年、自分の車でお墓参りを続けている》


忙しい最中でも行きますよ。暗い夜中とかでも、平気でお墓に行っている。最初にポルシェを買ったころはブドウ畑を通り、墓地に入って、ヘッドライトでお墓をパーンと照らした。怖いからね。中央高速道路を時速200キロぐらいで突っ走るんです。時効ですけどね。

お墓を前に余計なことは報告しませんが、おふくろやきょうだいたちを見守ってほしい、と祈ります。もちろん、僕のCDが売れますように、ともね。御利益(ごりやく)はないですけど…(笑)。

(聞き手 黒沢潤)

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