『方舟を燃やす』角田光代著(新潮社・1980円)
読んでいる間、何度も自分の過去を振り返った。なぜなら本書は、私が生きてきた、昭和から令和を舞台としているからだ。
物語の主人公は2人。1967(昭和42)年、鳥取に生まれた柳原飛馬(ひうま)は、大学に通うために上京し、卒業後は区役所に勤務する。離婚して子供もなく、一人暮らしをする彼は、仕事で関わった子供食堂に協力するようになる。
もう一人の主人公は、飛馬より年上の望月不三子(ふみこ)だ。東京で育った彼女は、高校を卒業すると製菓会社に就職。1975(昭和50)年、結婚により退職した。やがて妊娠すると、料理教室に通い、講師の教える自然療法や食事法にのめり込んでいく。歳月を経て一人暮らしになった不三子は、子供食堂のボランティアとなり、飛馬や園花という少女と知り合うのだった。
物語は2人の人生を交互に描きながら進んでいく。飛馬は小学生の時に母親を亡くし、不三子は食事などを制限していた娘が、大人になってから失踪する。それなりに波乱はあるが、珍しいというほどでもない2人の人生から、時代の流れと、テーマである「デマ」が浮かび上がる。
ノストラダムスの大予言から、コロナ禍の最中の流言飛語まで、本書には多くのデマが登場。懐かしいのに、いたたまれないという、複雑な感情を抱きながら読んだ。人はなぜデマを信じるのか。デマを信じてきた人生とは何なのか。作者は歳月を経ても、迷いや悩みがなくならない2人を通じて、テーマと真摯(しんし)に向き合う。そして、せめてこうであってほしいという、人間の生き方が示されるのだ。
また、通信手段の変化を、ストーリーに絡めている点も見逃せない。文通、アマチュア無線、PHS、携帯電話、SNS。驚異的に発達した通信手段は便利であるが、それを本当に使いこなせているのか。インターネットの炎上などを見ると、とてもそうとは思えない。本書は、伝えられた情報の受け取り方も問うているのだ。
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