文殊院で見つかった智感版大般若経。寄進した人物と時期について「常州佐都西小野崎」「応永八年」と記している=茨城史料ネット提供

 室町時代に木版で刷られた「智感版大般若経」の断片が、県内で初めて茨城県常陸太田市天神林町の文殊院で見つかった。当時一帯を支配した佐竹氏に仕えた小野崎氏が大般若経を寄進したと伝えられていたが、初めて現存が確認された。

 大般若経は、釈迦(しゃか)の説法を中国・唐代の僧、三蔵法師玄奘(げんじょう)が翻訳した全600巻の経典群。除災招福・国家安泰を願い、広く信仰された。

智感版大般若経が見つかった文殊院=茨城県常陸太田市天神林町で2024年5月29日午後5時26分、田内隆弘撮影

 文殊院には、小野崎氏が薩都(さと)神社(同市里野宮町)に寄進し、第二代水戸藩主・徳川光圀の手により移された大般若経があると伝えられていた。江戸時代後期の国学者、色川三中(1801~55年)による写し書きも残されていた。しかし、近年は存在が確認されていなかった。

 市内の郷土史家から天神林町の町会に「探してもらえないか」との要請があり、2019年12月に文殊院を捜索したところ、仏像を安置する須弥壇(しゅみだん)の下から約500点の経典が出てきた。これらを茨城大内の「茨城史料ネット」が調査したところ「大般若経」の断片が見つかったという。

 断片は第291巻の巻末部分(24センチ×43センチ)。小野崎氏が応永8年(1401年)に寄進したと記されていて、調査により「智感版」と判明した。

 智感版は、室町幕府初代将軍・足利尊氏が発願して制作が始まった、木版から刷られた大般若経。二代将軍・義詮(よしあきら)、初代鎌倉公方・基氏、二代公方・氏満へと受け継がれ、鎌倉府によって管理されたとみられている。

 調査に当たった茨城大の高橋修教授(中世史)は「この時代の小野崎氏は佐竹氏に仕えながら足利氏ともやりとりしていて、この智感版も直接入手したことがうかがえる。智感版はこれまでも見つかっているが、奥書によってここまで寄進の経緯が分かるものは珍しい」と解説。寄進の数年後には、約100年に及ぶ佐竹の乱(山入の乱)が始まる。きっかけとなった関東管領(公方の補佐役)上杉氏から佐竹氏宗家への養子入りも「小野崎氏が足利氏と交渉して進めたことだった」と高橋教授は指摘する。

 今回の調査ではほかにも、鎌倉時代のものと思われる大般若経2巻などが見つかっている。発見された史料は特別展示「経典が語る 常陸奥郡の中世」で披露される。7月5~8日、茨城大図書館展示室(水戸市文京2)で午前10時~午後4時。7月20~8月18日、常陸太田市郷土資料館梅津会館(常陸太田市西二町)で午前9時~午後5時。月曜休館。【田内隆弘】

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