東京電力福島第1原発事故で一時全村避難となった福島県葛尾村に、エビの陸上養殖に取り組むベンチャー企業がある。まだ一般販売には至らないが、山村で養殖技術を一から確立しようと奮闘する理由は「エビを新たな名産にするとともに、飼育を通じて水、食料、エネルギーを地域ぐるみで持続可能とする事業パッケージを作る」こと。「そして、ゆくゆくは世界に『葛尾モデル』を広めたい」という壮大な思いがある。
葛尾村との出会い
「HANERU葛尾」(同村落合)を2022年1月に設立した、松延紀至(まつのぶ・のりゆき)さん(50)。産業機械メーカー大手の荏原製作所(東京)やコンサルタント会社で長年、全国の水インフラ整備に携わってきた。その一環として、気候変動や漁獲量の減少を受けて世界的に導入されている陸上養殖も水インフラの活用事例として着目。全国の自治体に事業提案を行っていた。
21年3月、福島県庁から紹介を受けて葛尾村を訪れた。原発事故前の人口が1567人だったのに対し、16年の避難指示一部解除後に帰還したのは300人あまり。一方で、村が復興事業として整備した産業団地には広大な土地があり、地下水も豊富に湧いている。陸上養殖には適地に思えた。「人工海水をうまく作れて、寒冷な葛尾でも飼育技術を確立できれば、全国どこでも成立するロールモデルになる」
養殖するのは、東南アジアから盛んに輸入されているバナメイエビに決めた。成長が早く3、4カ月で出荷が可能になる上、水中を泳いで生活するため、水底をはって生息するブラックタイガーより養殖池の面積が小さくて済む。福島県内はエビの漁獲がほぼゼロで、地元の産業とも競合しなかった。
2度の全滅 乗り越え初出荷
コンサルを辞めて退路を断ち、葛尾に移住して22年に起業した。水温や水質などエビに適した漁場を人工的に作り出し、人工海水を浄化して再利用し続ける「閉鎖循環式」の最初のプラントが同年4月に完成。しかし、5万匹ものエビが2回全滅した。
いったん天然海水を使って、23年1月に初めて4000匹の出荷にこぎ着けた。県から研究開発目的で補助金を受けているため、まだ一般販売はできず、学校給食に提供した。村の子どもたちが喜んで食べてくれた。「こんなエビが育つなんて村の誇りです」という感想も寄せられ、涙が出た。
壮大な思い
水質や水温、養殖池の形状、人工水草の設置など環境を常に見直し、徐々にエビは安定的に育つようになった。社員はコロンビア人を含む8人に増え、今春には県立小名浜海星高(同県いわき市)からの新卒も採用。同校は県内唯一の水産高校で、HANERUとの共同研究にも取り組んでいたことから関心を持ってくれた。プラントも4系統まで増設した。
エビは25年度の一般販売を目指し、将来的には再生可能エネルギーを導入して、水資源や食料、エネルギーの自給自足を目指す。だが原発事故の影響は事業拡張にも立ちはだかる。「社員をさらに採用しようにも、住居がないんです。全村避難の際に多くが取り壊され、再建もままならない」。事故から13年がたっても残る爪痕を感じるからこそ、松延さんは言葉に力を込める。「こんな山間部でエビが取れる。そんな地域は他にない。エビを食べに多くの人が訪れる、村の誇りに育てたいんです」【錦織祐一】
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