池上曽根弥生学習館に展示されている、紀元前52年と再確認された大型掘っ立て柱建物の「柱12」(9日、大阪府泉大津市)=共同

国立歴史民俗博物館(千葉県)や大阪府和泉市教育委員会などのグループは、弥生時代の環濠(かんごう)集落・池上曽根遺跡(大阪府)の「神殿」ともされる大型掘っ立て柱建物の柱5本の年輪年代を再調査し、結果を10日発表した。

「柱12」は紀元前52年と再確認。紀元前113年とされた「柱16」は、外側が削られており、伐採された年代は不明だが、残っている最も外側の年輪は紀元前782年と判明した。同じ建物の柱でも年代差が700年もあり、新たな謎として注目を集めそうだ。

一番新しい柱12の年代から、建物の建築は紀元前52年ごろとされる。グループは地滑りなどで埋まり、地中に長期間保存された埋没林の木材を用いた可能性があるとしている。

1996年に奈良国立文化財研究所発掘技術研究室長だった光谷拓実氏らが1年ごとに年輪幅が異なる特質を利用した年輪年代法で、5本は紀元前113〜前52年と発表。今回は年代を決める「物差し」となる標準パターンを新たに作成して比較したところ、前回、前52年と判定された「柱12」の年代は同じだったが、残る4本は前782〜前221年と大幅に古くなった。

光谷氏は「前回の年代測定は約30年も前で、修正が必要だと思っていた。信頼性の高い標準パターンが完成し、測定したところ、古い年代が出て驚いている」と話した。

光谷氏の再調査結果を名古屋大の中塚武教授らによる酸素同位体比を用いた年輪年代法でも検証したところ、再調査とほぼ同じ結果になった。

柱を数百年も保管したとは考えにくいため、国立歴史民俗博物館の箱崎真隆准教授は、火山噴火や地滑りなどで埋まっていた埋没林が見つかり、建築に用いられたのではと新たな可能性を指摘した。

柱12以外の4柱は加工時に大きく削られており、正確な伐採年は不明。成果は古代学研究240号に掲載された。〔共同〕

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