7月26日に開幕するパリオリンピック。

 バドミントン女子ダブルスの永原和可那選手、松本麻佑選手の「ナガマツペア」です。

 「家族の応援」を背に悲願のメダル獲得を目指します。

 「最後の1点を取れなくて本当に悔しい。ここまで応援してもらった方々に申し訳ない気持ちでいっぱい」(永原 和可那選手)

 世界ランク2位、メダル候補として挑んだ3年前の東京オリンピックでは準々決勝で韓国に破れ、涙を飲んだナガマツペア。あれから3年…

 北海道十勝の芽室町出身の永原和可那選手。札幌市出身の松本麻佑選手は所属先がある秋田県内で練習に励んでいました。

 ペアを組んで11年目、高さを武器にこれまで世界の強豪と戦ってきました。

 そんな2人が出会ったのは今よりも、もっと小さいころ。小学生の合宿に眼鏡姿の永原選手と、松本選手が映っています。

 「松本は小学生の時から北海道で一番手だったので、バドミントンやってる人ほとんど知っていた」(永原選手)

 「多分最初に意識し始めたのが中学生の頃で、急に強くなって最初に当たった時に負けてしまって、そこからちょっと意識するようになって」(松本 麻佑選手)

 小学生のころから競い合っていた2人が目指す世界の頂。ナガマツペアの強さのルーツを探ると、「家族」の大きな支えがありました。

 永原選手の地元、十勝の芽室町。町内にはいたるところに垂れ幕や、永原選手の輝かしい功績が飾られています。オリンピックの開幕も迫り、地元の期待も高まっていました。

 「誇らしい。同じ町内だからなおさら嬉しい」「(メダル取ったら)町内会でみなさんでお祝いしましょう」(ともに芽室町民)

 永原選手の「勝負メシ」、あの十勝のソウルフードのお店でも。

 「大会連続出場というのは気持ちが切れずにがんばってるんだなって思うんで」

 「(メダル)見せてもらいたいですね。待ってます」


 芽室町の永原選手の実家です。

 部屋は大会のメダルや盾などがまるでミュージアムのように並べられています。

 母・知恵子さんらがいつでも振り返られるようにと整理整頓しています。

 「(家族は)誰よりもきっとファンっていうか、私たちの親、情報とかポイント私たちよりも多分詳しいぐらいすごい。私でも正直びっくりするぐらいなのでかなり近い存在」(永原選手)

 この部屋にパリの勲章が加わるのか。きっと家族は待ちのぞんでいます。

 札幌市出身の松本選手が小学校から所属していたバドミントンチーム。恩師の松野先生は当時から松本選手の成長の早さを感じていました。

 「勝つコツを覚えるっていうか飲み込みが早かった」

 「だんだん背は伸びてきて、やっぱりバドミントンは身長が高い方が有利なんで自分の特徴早くつかんだんじゃないかな」(ともに松野 英彦先生)

 同じクラブ出身の松本選手は子どもたちの憧れの存在です。

 「永原選手・松本選手金メダルとってください」

 そして松本選手にとっても「家族」は大きな存在です。両親には東京オリンピックでの心残りがありました。

 「応援できれば本当良かったんですけど。やっぱり近くにいたら攻めろ攻めろって多分ガンガン言ってたと思うけど、それもね、言えなかったっていうのがちょっと自分たちも悔い残るかなと応援してやりたかったと」(父・松本次世志さん)

 コロナ禍で無観客で競技が行われた東京オリンピック。近くにいて力になれなかったことが悔しかったといいます。松本選手も家族への思いを口にしました。

 「自分たちが(東京五輪で)負けた後に『一番のファンだから』って連絡をくれて、永遠に応援してくれるのはやっぱり一番は家族なので。東京では直接応援できなかったので(パリでは)一緒に戦えるのを楽しみに」(松本選手)

 パリには永原家、松本家も駆けつけ、「家族」でともに戦います。

 開幕まであと1週間です。

 「本当にこの3年東京での悔しさを糧にここまでやってきていて自分たちがやってきた3年を自信もってぶつけていきたいなと思います」(永原選手)

 「大舞台であればあるほど楽しんだもの勝ちだなと思うので、いい形で戦えるように最後まで戦いきれればいいかなと思います」(松本選手)

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