13年前の東日本大震災でひきこもりだった次男を亡くした男性が、地元の岩手県陸前高田市に当事者が自由に利用できる施設を開設した。次男同様、震災で犠牲になった妻が生前願った「ひきこもりや不登校の人が気兼ねなく過ごせる居場所」を実現した。市内で同様の施設は初めてで、年齢を問わず利用を呼び掛ける。
ひきこもりや不登校の人向けの「虹っ子の家」を開設したのは、元小学校長の佐々木善仁(よしひと)さん(74)。震災による津波で妻みき子さん(当時57歳)と次男仁也(じんや)さん(同28歳)を亡くした。市役所そばに所有する土地に建てた施設の開所式が7月23日に現地であり、知人や支援者ら約30人が参加した。
佐々木さんは小学校教員として35年間、岩手県沿岸部中心に勤務し、異動の度に転居した。仁也さんは中学2年の時、佐々木さんの転勤に伴い陸前高田市から釜石市に転校した際、不登校になった。卒業後に進学した通信制高校は卒業したが、その後は自宅にひきこもった。佐々木さんは仕事で忙しく、仁也さんの支援は主にみき子さんが担った。
2011年3月11日の東日本大震災で、陸前高田市の自宅を津波が襲った。佐々木さんは市内の小学校長として勤務中で、みき子さんと仁也さん、長男(43)は在宅していた。仁也さんは自宅にとどまったまま津波にのまれ、みき子さんは仁也さんを避難するよう説得した後、長男と共に逃げたが流された。
佐々木さんは震災後教員を退職し、みき子さんが携わった地元の不登校や引きこもりの人の家族会や、全国組織の岩手県支部に関わるようになった。みき子さんが生前口にしていた「家族は苦しい胸の内を話せる場があるが(当事者の)子どもたちにも安心して過ごせる居場所が必要」を実感したという。
更に4年前、同居していた長男が結婚を機に陸前高田を離れる際佐々木さんにこう告げた。「家を自分に残す必要はない。(不登校やひきこもりの人の)居場所を作って」。その言葉に背中を押され、所有する土地に施設の建設を決めた。
施設名の「虹っ子」は、みき子さんが最初に関わった保護者会に「虹」が使われていたのにちなんだ。木造平屋約80平方メートルで小部屋が三つあり、玄関そばの一室は特に人目を避けたい人が使う。ホールは防音構造で大音量の音楽も可。風呂や台所も備えた他、玄関をスロープ付きにするなどバリアフリーに留意した。建設費は自身と家族の貯金で賄い、利用料も無料とした。
利用者は思い思いに過ごしてよいが、津波の到達が予想される際は「私の指示に従って逃げてもらう」と佐々木さん。仁也さんと同様の津波死を二度と出さない決意がにじむ。
「震災で亡くなった妻と次男も後押ししてくれたような気がする。口コミで利用が広がれば」と話す。開館時間は当面、午前9時~午後5時。【奥田伸一】
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