試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、パリのスタンドにいる日本サポーターたちは歓声を上げた。パリ・オリンピックのサッカー女子で28日、強豪ブラジルに逆転勝利を収めた日本代表「なでしこジャパン」。スタンドには、ちょんまげ姿で声援を送る名物サポーターの男性がいた。その傍らには、石川県の能登半島から来て一緒に喜ぶ中学生男女5人の姿もあった。5人が約1万キロ離れたパリをはるばる訪れた理由とは――。
「ちょんまげ隊長」が企画
男性は千葉県松戸市で靴屋を営む角田(つのだ)寛和さん(61)。サッカー日本代表の熱心なサポーターで、「ちょんまげ隊長ツンさん」の愛称で親しまれる。2011年の東日本大震災をきっかけに災害ボランティア活動を始め、これまで西日本豪雨や熊本地震など全国の被災地で200回以上支援してきた。
今年1月に起きた能登半島地震でも計9回にわたって現地に足を運んだ。他の被災地と比べ、石川県では復興の遅れを感じるという。角田さんは「(火災に見舞われた)輪島市の輪島朝市は焼け跡のままで、珠洲(すず)市は地震と津波両方の爪痕が今も残る。子どもたちは避難生活で我慢せざるを得ない状況が続いていて、閉塞(へいそく)感があった」と振り返る。
「子どもたちに社会は味方であることを伝えたい」。角田さんは夏休みに中学生をパリ五輪に招待し、サッカー日本代表の試合を現地で一緒に観戦する企画を考えた。能登半島で共に活動した三つのボランティア団体と協力し、輪島や珠洲市など奥能登地域の中学生を対象に参加を呼びかけた。
企画が決まったのは6月だったが、クラウドファンディングで資金を募ったところ一般人や企業から多額の寄付が集まり、中学生の渡航費を何とか賄えた。
招待の中学生「被災地の様子を伝えたい」
今回参加した中学生は、輪島市、珠洲市、能登町の中学1~3年の男女5人。いずれも避難生活を送るなど被災し、中には家族を亡くした人もいる。
そのうちの一人で中学1年の林娃月(あづき)さん(12)=輪島市=は元日、市内にある母方の祖母宅に家族で遊びに行っていた。地震で家は全壊し、下敷きになった母親と祖母の2人を亡くした。悲しむ時期が続いたが、今回の企画は「海外の人に地震の大変さ、被災地の様子を日本を代表して伝えたい」と決意して応募したという。
5人は23日から渡仏し、24日の男子パラグアイ戦や25日の女子スペイン戦を現地で観戦。また、仏西部ナントや独南部フライブルクを巡って現地の人たちに被災体験を語る報告会をしたり、ホームステイを経験したりした。林さんは「最初は地震を思い出して悲しくなったが、それ以上に外国の人たちに被災の経験を自分の口で伝えられて良かった」と振り返る。
28日の女子ブラジル戦の前には、パリに招待された中学生5人と、輪島市に集まったそれぞれの家族や友人をオンラインでつなぐ交流会が開かれた。その後、家族らはネット配信を通じて試合を観戦し、心を一つにしてなでしこの逆転勝利を見届けた。
林さんは試合後、「最後まで諦めなかった選手たちとサポーターの心が通じて勝てた試合だと思う」と笑顔を見せ、「帰国した後は友達や知り合いにフランスの文化や経験したことを話したい。この旅で学んだことを生かして、将来は国際的な看護師になりたい」と夢を語った。
父克彦さん(46)は「大勢の人が子どものために必死に動いてくれて心が震えている。娘には自分が独りぼっちではないことを知ってほしいし、この旅が地震の経験を克服するきっかけになってほしい」と話す。
中学生たちは7月末に帰国し、今後はそれぞれの母校で現地での体験を報告する予定という。
角田さんは「子どもたちは乾いたスポンジのように旅で学んだことをどんどん吸収して成長していた。これを自分たちだけの思い出にせず周りに共有し、100人、500人に希望の気持ちが広がってほしい」と期待する。【郡悠介】
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