生後まもなく別れた父と83年ぶりに「再会」を果たした。第二次世界大戦中、日本軍の捕虜となって死亡した兵士ら約1800人が眠る英連邦戦死者墓地(横浜市保土ケ谷区)。3日に開かれた追悼礼拝にオーストラリアから参列したダグラス・ヘイウッドさん(83)は墓碑の前でたたずみ、目元を拭った。
34歳、空襲で亡くなる
追悼礼拝は1995年から毎年8月上旬、日本のキリスト教関係者らが平和と和解を目的に開いており、今回で30回目。英国大使館付武官ら約170人が参列し、賛美歌を歌ったり、リースをささげたりして犠牲者の冥福を祈った。
ヘイウッドさんの今回の参列は、2023年に戦争捕虜を調査している日本の市民団体「POW研究会」に連絡を取ったことで実現。ヘイウッドさんの父はオーストラリア陸軍のウィリアム・スコット・ヘイウッド准尉。
研究会などによると、ヘイウッドさんの父は1941年に出兵。シンガポールで捕虜となり、強制労働で多くの犠牲者を出した泰緬(たいめん)鉄道の建設にも従事させられた。
44年にシンガポールから日本に送還される途中、連合国軍の魚雷攻撃を受けて船が沈没。日本の艦船に救助され生き延びたが、その後に入れられた横浜の捕虜収容所が空襲を受け亡くなったという。45年7月13日で、34歳だった。
ヘイウッドさんは生後4カ月で別れたため父の記憶はないが、学校の面談で親が呼ばれた時は父がいないことに初めてさみしさを覚えた。10代の頃、収容所などで父が記していた膨大な手紙を自宅で発見。日本側の残忍な行為を記述し、それでも日本の監視兵全員が残虐ではないこと、自身と同じように家族がいることなども書き残していた。
ヘイウッドさんは取材に「父がとても力強く、思いやりのある人だったことに感謝します。生涯を通じて私の模範となる素晴らしい人でした」とコメントした。【蓬田正志】
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