デンソーから脱サラしてブルーベリー農園を開いた畔柳茂樹さん(愛知県岡崎市)

真夏の日光が照りつける中、田んぼに囲まれて立つ小さなログハウス。敷地には高さ2メートルほどの木が整然と立ち並ぶ。名古屋から電車とタクシーで50分ほどの場所にあるのが、畔柳茂樹さん(62)が経営するブルーベリーの観光農園だ。

愛知県岡崎市で生まれ育ち、大学卒業後、自動車部品大手のデンソーに入社した。自動車や製造業に特別な興味があったわけではない。「田舎育ちだったせいか、世間に認められたいという思いが子どものころから強かった」。一流の大学に入り、一流の企業で出世することが大事だと信じて疑わなかった。

会社では企画畑を歩んだ。車に近づくと自動解錠するスマートキー事業などに携わり、生産拠点の配置や販売戦略の考案にも関わった。給与は高く経済的な余裕があった。

課長に昇進すると労働環境が一変した。

部下が終えられなかった仕事を、管理職の自分が引き受けた。上司からは翌朝までに資料をまとめるよう深夜に指示を受けたこともあり「自分の時間は全くなかった」。

農園には約1500本のブルーベリーの木がある(愛知県岡崎市)

あまりの激務に心が悲鳴を上げた。起床時間より早く目が覚めてしまったり、やりきれない思いをぶちまけるように車を運転中に大声で叫んだりすることもあった。

残りの会社人生をどうすべきか。何の気なしに手にした本に、はっとした。生きることの意味を問いかける内容で、読み進めるうちに「会社にとって、自分は交換可能な存在にすぎない」と感じるようになった。

自分を会社にかけがえのない存在だと思っていただけに、気持ちが揺れた。そんなとき、早期退職制度の対象年齢が近づいていることを知る。この制度を使えば当面の経済的な心配はない。

次は転職するか起業するか。「組織に縛られると、また同じことの繰り返しだ」と転職は選ばなかったが、起業に不安がなかったわけではない。

会社にいれば安定した収入を得られる。起業すれば自由を得られる代わりに、収入は大きく減るかもしれない。

ブルーベリー農園のビジネスモデルの考案には、会社の経験が生きた(愛知県岡崎市)

悩む畔柳さんの背中を最後に押したのは、教員免許を持つ妻の「私もフルタイムで働く」との言葉だった。約20年勤めた会社を辞め、起業する覚悟が固まった。

どんな事業を手掛けるか。滅私奉公した会社員時代とは違い、自分らしく好きなことを仕事にしたいと思った。子どもの頃から生き物や植物を育てることが好きで、実家には農地がある。未経験だったが、農業にしようと考えた。

全国を訪ねて何を栽培するか思案するなか、ある農園でブルーベリーと出合い、おいしさに感銘を受けた。

毎年苗を植える必要がなく手間も少ない。当時、手掛ける農園が少なく「人が歩いた道ではなく、自分で道を切り開きたい」とブルーベリーに挑戦することを決めた。

農園のビジネスモデル考案には会社での経験が生きた。経営や栽培に必要な作業時間を洗い出すと、収穫や出荷に最も時間がかかるとわかった。

農園側が収穫して出荷すると、人件費がかかりすぎて赤字になる。「客に収穫作業をやってもらおう」。農園は人手をかけずに済み、客は日常では得られない経験ができる。消費者と交流したいとの思いもあり、観光農園を開くことにした。

2008年にオープンした農園には、現在60種類約1500本のブルーベリーの木が並ぶ。営業は夏の60日ほどながら、1シーズンで1万人が足を運ぶ年もある。

自分らしい生活を送れる喜びは、日常のささやかな場面で感じる。「ほぼ毎日、家族で晩ご飯を食べられる」。会社員時代、帰宅は午後10時や11時を回ることもあり、家族で毎日食卓を囲むのは難しかった。

今後は2つの目標がある。「果物狩りといえばブルーベリーといわれるほど、メジャーにしたい」。自身の農園でブルーベリーのことが何でもわかるような施設を作ってみたい、と笑う。

かつての自分のように仕事に悩む人を救いたいとの思いから、自身の経験を伝える本の執筆にも力を注ぐ。「道は一本ではなく、未来は選べると伝えていきたい」

思い切って安定を捨て、選んだ道の先にあった多くの実り。これからも育て続け、多くの人に伝えていく。

文 近藤彰俊

写真 宮口穣

中間管理職の負担軽減が課題に


中間管理職への重い負担は、企業が抱える課題だ――。リクルートマネジメントソリューションズが2023年に実施した調査では、企業の人事担当者や管理職層のこんな意識が浮き彫りになった。同社は人材育成など、管理職に求められる役割が大きくなっていることが背景にあると分析している。
調査は企業の人事担当者や管理職層の計300人を対象に、インターネットで実施した。会社の組織課題について選択式で尋ねたところ、「ミドルマネジメント層の負担が過重になっている」ことを選んだ人事担当者は65.3%、管理職層では64.7%で、それぞれトップだった。

中間管理職の過重負担の選択率がトップになるのは20年の調査開始以降、人事担当者、管理職層ともに初めてだった。

プレーヤー業務に当たらなければいけない管理職が多いことも、負担を増やしている可能性がある。管理職がマネジメント業務に携われている比率を問うと、50%以下の選択肢を選んだ人が6割にのぼった。プレーヤー業務を担わなくてはいけない理由は「メンバーに知識・スキルが不足しており仕事を一任できない」が34.2%で最多だった。

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