国の援護区域外で原爆に遭った被爆体験者の救済を巡って21日に政府が示した対応策は、あくまで被爆者とは認めないまま医療費の助成を拡大するというものだった。原告の一部を被爆者と認めた9日の長崎地裁判決に対しても、国側は控訴する方針で、「全員を被爆者と認めて」と訴えてきた原告らは憤り、失望した。
長崎の被爆体験者の原告たちが求めてきたのは、被爆者援護法が「身体に原爆放射線の影響を受けるような事情の下にあった者」と規定する「被爆者」と認められることだ。
岸田文雄首相が表明した医療費助成の拡充も確かに重要だろう。ただ、被爆体験者たちが、平均年齢85歳を超えた現在まで20年以上にわたって法廷の内外で闘い続けてきた理由は医療費の問題だけではない。原爆投下後、灰や雨と共に放射性微粒子が降り注いだ環境で生活したために、その後、病気に苦しんだという訴えや体験を黙殺しないでほしいという強い思いが根底にある。
原告44人のうち爆心地東側の旧3村にいた15人を被爆者と認めた長崎地裁判決を受け、原告たちは国や長崎市、長崎県に対し、控訴せず、勝訴原告に被爆者健康手帳を交付するよう訴えた。足腰が弱った原告団長の岩永千代子さん(88)は車椅子に乗って市長や知事と面会し、「助けてください」と涙を流しながら懇願した。だが、その思いは届かなかった。
武見敬三厚生労働相は判決を不服とする理由の一つとして、被爆体験者の敗訴が確定したこれまでの訴訟と今回の長崎地裁の判断の違いを挙げた。これまで「バイアス(偏見)が介在している可能性が否定できない」と一蹴されてきた証言調査の結果を、地裁が一転して旧3村に黒い雨が降ったことの根拠とした点だ。
そこに透けて見えるのは「被爆体験者の証言は信用できない」という厚労省の一貫した姿勢だ。それを被爆地選出の岸田首相も追認した。被爆の実相を伝える重要性を訴えてきた首相は「被爆者手帳所持者の証言は信用できるが、手帳のない人の証言は信用できない」とでも言うのだろうか。
岩永さんは「命ある限り闘う」と言うが、当事者が力尽きるまで訴訟をさせるのはあまりにも酷ではないか。被爆体験者の体験や証言に国が真摯(しんし)に向き合わない限り、溝は埋まらない。【樋口岳大】
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