岸田文雄首相が示した救済策や控訴の方針に「納得がいかない」と訴える被爆体験者ら=長崎市で2024年9月21日午後3時59分、尾形有菜撮影

 国の援護区域外で原爆に遭った被爆体験者の救済を巡って21日に政府が示した対応策は、あくまで被爆者とは認めないまま医療費の助成を拡充するというものだった。原告の一部を被爆者と認めた9日の長崎地裁判決に対しても、国側は控訴する方針で、「全員を被爆者と認めて」と訴えてきた原告らは憤り、失望した。

 「これでは根本的な解決にならない」。21日朝、被爆体験者の救済についての岸田文雄首相の発表をインターネット中継で見た訴訟の原告団長、岩永千代子さん(88)=長崎市=は強い口調で語った。

 岩永さんが願っていたのは、長崎地裁が被爆者と認めた15人について国側が控訴を見送り、さらに、敗訴した自身も含め全ての被爆体験者に被爆者健康手帳を交付するという「政治決断」。だが、首相が示したのは控訴方針と、医療費助成の拡充だった。

 岸田首相は8月9日に長崎市を訪れた際、歴代首相として初めて岩永さんらと面会した。岩永さんは、被爆体験者がいた地域で原爆投下後に灰や雨などが降った光景の絵を見せ、「私たちは内部被ばくで健康被害を受けた可能性が否定できない被爆者だ」と訴えた。首相は岩永さんの目の前で「早急に課題を合理的に解決できるよう具体的な対応策を」と武見敬三厚生労働相に指示した。

 「岸田さんは真剣に話を聴いてくれた」と感じた岩永さんは今回の判決を受け、「控訴せずに被爆体験者を被爆者と認めてくれるはずだ」と期待していた。だが、この日、岸田首相の口から「被爆者と認める」との言葉は出ず、岩永さんは「裏切られた」と落胆した。

 岩永さんらは21日午後、長崎市内で記者会見した。医療費助成の拡充方針に、岩永さんは「私たちが求めているのはお金ではない。『自分の疾病は原爆のせいではないか』と疑っている被爆体験者が被爆者と認められ、納得することだ」と強調。原告を支援する被爆2世の平野伸人さん(77)は「(批判を抑えるための)『あめ玉』が少し大きくなっただけだ。評価できない」と語った。

 原告の山内武さん(81)=長崎県諫早市=は「また繰り返すのか」と語気を強めた。山内さんが原告団長を務めた同種の先行訴訟では2016年に1審・長崎地裁が原告161人のうち10人を被爆者と認めた。だが、この時も長崎市と長崎県が控訴。結局、控訴審では1審勝訴の原告10人も含めて全員が敗訴し、19年に最高裁で確定した。訴訟は長期化し、多くの仲間が亡くなった。山内さんは「私も体がついていかなくなっている。爆心地から12キロ圏内にいた者は皆、被爆者と認めてほしい」と声を絞り出した。

 長崎地裁判決で被爆者と認められた原告たちも肩を落とした。爆心地の東約9キロの旧古賀村(現長崎市)で原爆に遭った松田宗伍(そうご)さん(91)=長崎市=は心臓の病気を患い、「自分には時間がない。控訴せずに被爆者手帳を交付してもらいたい」と願っていた。国の控訴方針に「裁判所が被爆者だと認めたものを国が認めないのはおかしい。うんざりする」と話した。

 爆心地の東約8キロの旧矢上村(現長崎市)で原爆に遭った浜田武男さん(84)=長崎市=も「今度こそ被爆者手帳が交付されると信じていたので裏切られた気持ちだ。同じ国民なのに、なぜ広島の黒い雨体験者と同じように被爆者と認められないのか。国はあまりに冷たい」と語った。【尾形有菜、松本美緒、樋口岳大】

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