「もともと辞職という選択肢はなかった」。兵庫県議会の全会一致で不信任決議を受けた斎藤元彦知事は26日、記者会見で失職・出直し選出馬という選択に至った経緯を説明した。パワーハラスメントなどの疑惑を文書で告発された問題について「おごりや慢心があった」と自省の念を示したが、「道義的責任という言葉は辞職につながる。大きな責任は感じているが、それでも県政を担いたい」などと、かみ合わない受け答えも目立った。
斎藤氏は「県政にとって大きな判断。大変思い悩んできたが、きょう決断した」と切り出した。「3年前(の選挙で)、85万票の負託を頂いた。行財政改革をしっかりやっていくのが新しい県政のスタートだと思ってきた」と説明。県職員の再就職先での「定年」の繰り上げなど実績をアピールした。
決断の決め手は、25日に高校生から受け取った激励の手紙だったという。「『負けないで。屈しないで。未来のために頑張ってほしい』との手紙をもらい、まだこんな自分でも期待してくれる人がいると受け取った。選挙は大変だが、頑張ってみようと覚悟を決めた」と目を潤ませた。
19日に不信任決議を受けて以降「いろいろな選択肢がある」と態度を明確にしてこなかったが、議会解散や辞職の選択肢は当初からなかったと明かした。「私のこれまでの対応が問題視されてきた。私が自ら信を問うことが大事だと思っている」とし「改革を止めるわけにはいかない」と強調した。
半面「不信任決議は議会の判断だが、本当にそこまでいかなきゃいけなかったのかという思いは、正直ある」「問題の調査と解明は大事だが、知事が職を辞するものなのかということが根底にある」と、県議会の追及姿勢に疑義を呈した。告発者が元県西播磨県民局長だと特定した「犯人捜し」について「後から見ればいろいろな選択肢があると思うが、当時は最善の対応だった」と、改めて正当性を主張した。
県議会は「県政を混乱させた道義的責任は重い」として不信任を突きつけた。記者から繰り返し、この点について問われると「道義的責任は辞職につながるものだと思う。辞職は今回しなかった」と正面からの答えを避けた。
斎藤氏は「雲中(うんちゅう)雲を見ず」を座右の銘に掲げる。権力者は自分を客観視できず、慢心やおごりにつながるという例えだ。会見で斎藤氏は「県政を3年間担う中で、心の中におごりや慢心があった。それが言動につながったと思う」と振り返りつつ、重ねて訴えた。「もう一度、知事をさせていただくのであれば職員の皆さんとの接し方、議員(県議)の思いをもっともっと聞いていくことをしなければならない。そこから変わっていくつもりだ」【栗田亨、井手千夏、木山友里亜、大野航太郎】
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