元日の大地震で隆起した真っ白な岩礁と青い海の間には、土砂混じりの濁った水が流れ続けている。地震から9カ月近く、豪雨から約1週間を経た9月末、石川県の能登半島北部を中心に歩いた。
おびただしい流木が積み重なり…
山肌から崩れ落ちた大量の土砂や砂れき、おびただしい流木が河川や谷筋などに積み重なり、田畑までをも埋めている。
アスファルトやガードレール、電柱も押し流し、数十メートル下まで完全に崩落している道路も少なくない。被災住民の生活道は各所で寸断され、深刻な状況だ。
地震前まで約20世帯が暮らしていた輪島市上大沢町。元日には地震で集落が孤立し、住民はヘリで救助されるなどした。
上大沢から直線距離で10キロほど離れた市中心部の仮設住宅で、集落の区長の弥郡(やごおり)嘉信さん(66)に出会った。弥郡さんは能登豪雨でもヘリで救助されたという。
9月21日午前、気分転換で上大沢町の自宅に戻っていた父信雄さん(100)を迎えに行った。
午前9時過ぎ、軽四トラックの助手席に父を乗せ、仮設住宅に戻ろうとした。雨が急に激しくなり、集落を流れる西二又川の水かさが増し始めた。
そこから、川の上流の方へ約2キロにある上山町の三差路まで来る頃には、路面が見えないほどの水に覆われ、明らかに普段と違う山水が斜面からあふれ出していた。
路面の至る所で濁流
いったんはその交差点で左にハンドルを切り、そのまま進んだ。ところが、路面の至る所では既に大量の濁流が流れ込んでいた。
Uターンして三差路に戻り、幹線道路の国道249号が通る門前町浦上まで山を下った。だが、今度は大量の流木などで道が完全に塞がれていた。
弥郡さんは慌てる思いを抑えて、安全な場所を考えた。来た道を戻り、再度、バスの方向転換も可能な上山町のバス停付近での待機を決めた。周囲で最も逃げ場所となるスペースが確保できる場所だったからだ。
「父を乗せていたことでより慎重になっていたのが良かったんです」
バス停付近で車内から外を見た信雄さんは「でけぇ、雨じゃな」と言った。
エアコンやエンジンをつけたり止めたりしながら半日ほど過ごしたが、雨のやむ気配はない。身の危険を感じた2人は、上山町の知人宅に助けを求めて身を寄せた。
そこで5日間過ごし、26日、弥郡さんは信雄さんと一緒にヘリで救助された。
「身動きしなかったというより、できなかったことで、命を救われたように思います。動いていたらどこかで土砂につかまっていたでしょう」
弥郡さんがそう振り返ると信雄さんがうなずいた。
県道が完全に崩落
上大沢町と上山町を結ぶ県道38号は、上山町のバス停から約50メートル北側で道が数十メートル下へと完全に崩落していた。記者は地元住民らの案内を受け、通常20分ほどで歩ける道を2時間以上かけ、幾重もの流木の山々をくぐり、ぬかるみに足をとられながら進んだ。
流木の散乱する場所の砂れきを手に取ると軽い。崩れたアスファルトに線が引けるほど風化していた。
上大沢町の集落は、海辺に面する断崖に挟まれた西二又川のわずかな扇状地にある。岩のりの産地として知られるが、元日の海岸隆起で岩場にある岩のり畑は壊滅状態だった。
豪雨は稲穂が実った田んぼにも大量に流れ込んでいた。市中心部の仮設住宅で取材した住民の一人は「海も海でだめだが、山も山でだめんなってな」と肩を落とすように語った。
地震で崩れた断崖は、豪雨により、さらなる斜面崩落を起こし、道路を塞いでいた。船舶も埋まっている。西二又川のコンクリートの護岸も急流で削られてはがれ、川幅を広げていた。
「誰かが前を向かんと」
上大沢町の集落は海風を防ぐ細い竹を使った垣根「間垣」の里として知られる土地だ。今回、土砂を含んだ洪水が、川沿いの倉庫と一緒に間垣の一部も海の方向へと押し流していた。
集落の高齢者らを支える中村和規夫(わきお)さん(67)は、9月に生活を始めたばかりの市中心部の仮設住宅が床上浸水した。元日の地震後、新たなトラクターを導入し、稲作などを続けてきた。
「『戻ってやっていけるぞ』という希望を集落の住民に持ってほしい一心でした」と話す。収穫し、袋詰めをした新米の大半は大雨で水浸しになった。そして、水没を免れたお米も道路の寸断で取りに行けない状況だ。
だが中村さんは気丈に語る。
「誰かが前を向かんと集落全体の元気がなくなってしまう。今は『負けるもんか』っていう思いだけです」【高尾具成】
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