札幌オリンピックのスキージャンプで日本選手が表彰台を独占した「日の丸飛行隊」のひとりで、金メダルに輝いた笠谷幸生さんが2024年4月23日に亡くなりました。
80歳でした。
北海道の現・仁木町出身の笠谷幸生さんは、2024年4月23日、札幌市内の病院で亡くなりました。
最も記憶に残るのが1972年、札幌で開かれた冬季オリンピックのスキージャンプ70メートル級で金メダルを獲得。
銀と銅も日本選手が獲得し「日の丸飛行隊」として表彰台を独占しました。
大倉山にある札幌オリンピックミュージアムには笠谷さんが着ていたユニフォームや使用したスキー、サインなどが展示され功績をたたえています。
訪れた人は。
「あの時代に金銀銅を取った有名な人。それでジャンプが日本で有名になった」(大倉山を訪れた人)
「10歳の時に札幌五輪が開催され、とても印象に残っている人。札幌五輪と言えば笠谷幸生さん」(大倉山を訪れた人)
日本のスキージャンプ発展の礎を築いた笠谷さんの死去に、後輩たちもお悔やみのコメントを発表しています。
長野オリンピックジャンプ団体の金メダリストの原田雅彦さんは、「オリンピックのたび、ジャンプを助けていただき長野では世界一へと導いてくれました。心から感謝し尊敬しています」と述べています。
スキージャンプ界のレジェンド葛西紀明さんは「私が生まれた年の札幌オリンピックで金メダルに輝かれた笠谷さんは子どもの頃から憧れの存在でした。心よりご冥福をお祈りいたします」と述べています。
日本をジャンプ王国へと導いた笠谷さんの功績を道民は忘れません。
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