事件から25年。実家に引っ越した後も現場アパートの部屋を借り続ける高羽悟さん(5日、名古屋市)=共同

名古屋市西区のアパートで1999年、住人の主婦、高羽奈美子さん(当時32)が殺害された事件は13日、未解決のまま発生から25年を迎えた。幼い長男の目の前での凶行だった。

夫の悟さん(68)は「遺族にとって風化が一番怖い」と当時の血痕が残る現場の部屋を借り続け、これまで2188万円を費やした。未解決事件を中心とする遺族会「宙の会」で代表幹事も務め、妻の存在を原動力に活動を続ける。

99年11月13日午後、隣人からの知らせで職場から戻ると、真っ赤に血が広がる床に奈美子さんがうつぶせに倒れていた。当時2歳の長男、航平さん(27)は現場で、きょとんとした様子で座っていたと聞かされた。

慌ただしく出入りする救急隊。刑事に何度も名前や生年月日を聞かれた。死因を尋ねると困惑した顔で「首を切られています」と言われた。状況をのみ込めずにいたが、「人が押し入って殺したんだ」とはっとした。心当たりは全くなかった。

署で事情聴取を受け、遺体が搬送された後、帰路の車内で流れたラジオのトップニュースは自宅での事件だった。「日本はうち以外平和だったんだな」と思った。

事件後は実家に引っ越したが、現場の部屋は借り続けた。当初、奈美子さんのCDや本を手に取ると片付けは進まなかった。それでも年末年始にこびりついた血を拭き取った。結婚4年、新調した家具も多かった。奈美子さんの母親から「もう少し(この部屋に)いてもいいんじゃない」と言われ、心が休まった。

すると数年後、玄関に犯人のものとみられる血痕が残っていることが分かった。「科学捜査の進展で解決のきっかけになるかもしれない」。現場保存のため家賃を払い続ける覚悟を決めた。

街頭活動には毅然と出て、取材にも堂々と応じてきた。涙を流す姿を見せてしまうと、犯人に「ざまあみろ」と思わせてしまうからだ。

2009年、宙の会に参加した。他の事件遺族とともに国への陳情活動などを行い、10年には目標だった殺人罪などの時効撤廃が実現。現在は、DNAの捜査での活用拡大などを提言する。

航平さんに強く生きる父親の背中を見せたいと思い、走り続けた25年だった。「遺族だからできた体験もたくさんあった。少しでも提言に理解を深めてもらえるよう訴えていきたい。奈美子の死を無駄にしたくない」と悟さん。左手の薬指には結婚指輪が光っていた。〔共同〕

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